レポート

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#107(04/07/21)インタビュー
×槇原敬之
2004年7月5日 お昼
中目黒 某レコーディングスタジオでインタビュー

きくち
武道館はすごかったね!
槇原
あ、ありがとうございます
きくち
あれを見ちゃうと、テレビでは何ができるのかって、正直考えさせられたょ。
槇原
でも逆にテレビじゃないところで何ができるかっていうのが僕らの頭の中にはあるし。あの…最近僕がよく言ってるのは、(音楽を)商店街化すればいいんじゃないかって。
きくち
商店街?
槇原
商店街って微妙で、八百屋さんと果物屋さんが並んでたりする。で、
「八百屋だけど、うちのみかんの方がうまいから」とか、
「やっぱりみかんは果物屋の方がおいしいから、帰りに寄ってってよ」なんて関係性がある。それは僕らも同じで、一番最初に音楽というものがあって、それを各分野でどう届けるかでしかないと思うんです。
きくち
「音組」と考え方は近いかも。『僕らの音楽』と『HEY!HEY!HEY!』それに『堂本兄弟』『FACTORY』。切り口の違う音楽番組をやっていれば、どれか観てくれて音楽を聴いてもらえる。まあ『僕らの音楽』が一番まっとうな音楽番組なんだけど(笑)。
槇原
まず番組のタイトルがいいですよね、これぞ音楽番組って感じで。
きくち
ありがとう(笑)。内容も圧倒的に音楽人からはウケがよくて。ずうっとがんばってると、こういうこともできるんだなあとちょっと感動してるの。
槇原
ああ、長年やってるとそういうものですよね。人間の人生って春夏秋冬があるんですって。冬のように動けないときがあれば、春になって芽吹いて、夏は活動的になる。僕も12年経ったとき、季節が一回りしたのを感じたんですよ。そうすると前の12年を振り返りながら仕事ができるから、
「ここは気をつけよう」とか「ここは走りきるしかない」って、目星が付けられる。長くこの仕事が続けられてよかったなあって気持ちは、僕も同じですね。
きくち
そのマッキーが“春”の頃に作った「どんなときも。」、武道館ですごくよかった。泣いたよ。マッキーと初めて逢ったときのこととか、「冬がはじまるよ」録りながら泣いたこととか、いろんなこと思い出した。音楽ってすごいよな、時代…というか、そのときのわたしをうたが憶えてる。
槇原
そうなんですよ、歌は自分と一緒に歩いてくれる。しかも楽器以外はほとんど何も使わないで聴く人をハッピーにしてくれて。神業ですよね。
きくち
うん。武道館は本当にすばらしかったんだけど、強いて言えば…関係者のみなさんも心の中では感動してるんだろうから、それを表に出したらいいのにと思った。
槇原
たぶん恥ずかしいんでしょうね。
きくち
みんな拍手しようよ、コール&レスポンスもしようよ、いっしょに歌おうよ!(笑)
槇原
でも角田(信朗)さんなんか大っきいからさ、いやでも目立っちゃう(笑)。
きくち
ああ、誰が見てもわかる
槇原
ただね、その角田さんが言ってくれたんですよ。「僕は生まれ変わっても格闘家だとずっと思ってたんですけど、今日初めて…ミュージシャンもいいかなって思ったんです」って。
きくち
最高のほめ言葉ね。
槇原
そう、すごいうれしくて。僕はK-1は好きで…何しろ僕、K-1見て泣きますからね(笑)。何がいいって、さっきまでボコボコにし合っていた2人が、試合が終わって抱き合うじゃない。よくぞ自分の相手をしてくれたっていう感じで。その姿にね、もう涙が止まらない。
きくち
わたしも昨年の日本シリーズが終わったとき、泣いた。この1年のこと、星野(仙一)監督の2年間、阪神のここまでの19年間とか思いながら、博多駅に向かうタクシーの中で涙が…。スポーツにしろ音楽にしろ、感動するってことは大事ね。
槇原
そう、感動することがあるから今度は誰かを感動させたいって思うんだし。僕のコンサートを見た人に笑顔で、温泉入ったみたいな感じになって帰ってほしい。…それにしてもスポーツは楽しいですね。そうだ、僕野球知らないんで、今度教えてください。
きくち
じゃあ甲子園行こうょ、甲子園。野球観ながらビール飲もう(笑)。

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