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サンスポ 連載:きくち伸話
タイトルも見出しもわたしがキメたわけでは決してありません
オリジナル原稿 #66(04/02/06)
母校の一関一高が49年ぶりセンバツ出場 あの頃の仲間と飲み明かしたい
いつもながらに私事ではありますが、わたしの愛すべき母校;岩手県立一関第一高等学校が1955年以来実に49年ぶりに、春の選抜高校野球大会出場がキマりました。昨年あれだけ阪神タイガースでもりあがっていた甲子園球場で、わたしが自分の高校を応援するということがまるで想像もつかないのですが、なんとか出かけられたらなぁ、って考えています。
一関一高は、すくなくともわたしたちのころには、応援団を中心に男子生徒に「バンカラ」などという校風の残っている今ではめずらしい高校で、吉田拓郎さんが作詞作曲したかまやつさんの「我が良き友よ」を地でいく学生たちが、弊衣破帽で闊歩していました。先輩から代々受け継いだ、ぼろぼろの学ランと穴の開いた学生帽、薄汚れたズック地の肩下げかばん、腰に手拭いぶらさげて、冬でも裸足に高足駄。そういう男のコがいっぱいいました。
そんなこともあって「我が良き友よ」はわたしたちの高校のテーマソングみたいな曲なんですが、拓郎さんとはじめて焼肉屋さんに出かけたとき、うれしくてそんな話をしたらば「僕は一度もあんな格好をしたことはない!あの曲を書いたおかげで誤解されていい迷惑しているんだ(笑)」と笑いとばされてしまいました。ちょっとさびしかったです(笑)。
一関一高には応援歌がたくさんあって、応援歌練習という行事もしばしばありました。地元の英雄的フォークグループNSPの1974年のヒット曲「夕暮れ時はさびしそう」にうたわれている「田舎の堤防」に全校生徒があつまって、何曲も何曲も大声を張りあげるのです。これは大学時代に球場で阪神の応援をするときに、ほんとうに役に立ちました。『夜のヒットスタジオ』の末端ADのころ、スタジオで大きな声を出せたのも、そのころの下地があってこそ、かもしれません。
応援歌のなかに「豪気節」という数え歌があって、これは体育祭とかでも男子が胴着に袴でうたいおどるのですが、今回もセンバツの発表があったときに、一高の中庭で応援団がおどったみたいですが、これを甲子園で観てみたい!そして、試合に勝って「勝利讃歌」をうたいたい!そのあと二十数年ぶりにあのころのおともだちと飲み明かしたい!
まるでそのまま「我が良き友よ」ですが、よもやのセンバツに、わたしはこんなにもりあがっています!昨秋の阪神のように、思いを共有できる仲間が近くにいないのが残念でしかたありません。このコラムをごらんになってる卒業生がいましたら、どうかご連絡ください!
フジテレビ きくち
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