KIKCHY FACTORY

サンスポ 連載:きくち伸話
タイトルも見出しもわたしがキメたわけでは決してありません
オリジナル原稿 #09(02/11/29)


久しぶりに井上陽水さんとの仕事で…
プロデューサーとして感無量


 来週月曜12月2日放送の『HEY!HEY!HEY!』に、5年10か月ぶりに井上陽水さんが来てくれました。うたうは名曲「飾りじゃないのよ涙は」、リハーサルではアドリブで「青空、ひとりきり」も聴かせてくれました。
 わたしが陽水さんとはじめてお仕事をしたのは、1987年の年末の特番『夜のヒットスタジオスーパーデラックス』で、それはわたしが吉田拓郎さんとはじめてお仕事した番組でもありました。オープニングで並び立つ背の高い拓郎さんともっと背の高い陽水さん。そのあとわたしが『LOVE LOVEあいしてる』で最後まで追い求めて、ついにかなわなかった夢の現場でありました。
 そのとき陽水さんは安全地帯をバックに2曲、そして中森明菜さんが「飾りじゃないのよ涙は」を陽水さんと安全地帯の演奏でうたいあげ、拓郎さんは大作「アジアの片隅で」をコーラスにTHE ALFEEを従えて熱演しました。
 それから陽水さんには『HEY!HEY!HEY!』がはじまってすぐ、奥田民生くんとのトークのためだけのゲストとして出演していただきました。歌手として出演していただいたのは1995年の今ごろ。浜田さんが風邪で体調がめっちゃ悪くて、2本収録のもう1本のトークは録ることができず、次回に持ち越しになったのですが、さすがに陽水さんだけは、そんな浜田さんに無理を言ってなんとか収録することができました。
 その次が1996年の4月。出演の告知のために、前の放送分のエンディングで、次週のゲストの陽水さんとテレビ電話でつなぎまして、当時のまだカクカクした画像が絶妙におもしろくて、これだけでもスタジオは大爆笑でした。
 そして1997年の2月「井上陽水奥田民生」というユニットでの出演を最後に、しばらくお仕事をする機会がありませんでした。
 拓郎さんの『LOVE LOVE』にいちばん来てほしいゲストでしたが、4年半の歴史のなかでついに成立できず、いろいろとご迷惑もおかけしてしまいました。
 今回こうしてひさしぶりにお仕事ができて、それもサイコーの収録が実現して、万感の思いでした。
 スタジオを後にする陽水さんといっしょに階段を降りているとき、背中で陽水さんの声が「きくっちゃん、きくっちゃん」と意味無くはずんでいたとき、5年10か月のいろいろな出来事がものすごいスピードで頭のなかを巡りました。
 来週月曜日、わたしたちが用意できるサイコーの『HEY!HEY!HEY!』を、どうか存分におたのしみください!

フジテレビ きくち
 



モドル




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