HEY!


REPORT
[KIKCHYのこっそりレポート!]

「田舎の堤防 夕暮れ時に」
フジテレビ きくち
『HEY!HEY!HEY!』『LOVE LOVEあいしてる』『FACTORY』『Mu-Mu』ほか
プロデューサー

N.S.Pは いつから好きになったとか そういうことではなくって、
わたしのいなかでは それはビートルズのように
中高生の誰もが知っている音楽でした。
デビュー当時 小学生だったわたしも類にもれず、
気がついたらばあたりまえのように 彼らの音楽に夢中でした。
今 わたしがお仕事させていただいている吉田拓郎さんとのはじまりも、
彼らが用意してくれたものでした。
1stに収められている佳作「僕の夏休み」。
「マークU」ってどんなうたなんだろう?
(そして「夏休み」は?)
本屋さんで歌集を立読みしたのが 拓郎さんといなかの小学生の
はじめての出逢いです。

3人だったころのほとんどの曲に おもいでがあります。
ギターをはじめたのも、
学生時代 自分で自分なりに曲を作りはじめたのも、
それはつまり
まがりなりにも今 音楽にかかわったお仕事をさせていただいていることも、
すべては わたしのルーツミュージック
N.S.Pに依るところが大きかったと 今 思います。

全校朝礼の最後に全員で
今月のうた「さようなら」をうたいました、
最初に全員でうたうのはもちろん校歌でも。
学園祭、ともだちのバンドが
教室のステージで演るのは、
「HIGHWAY STAR」だったり「悪たれ小僧」だったり
「ボーカルなんていらないよ」だったり。
飲めないお酒を無理矢理飲んで、
RAINBOWとか YESとか WEATHER REPORTとか EAGLESだとか
勝手な話を勝手にしながら、
河原でうたうのは「17才の詩」だったり。

わたしたちの通う高校の裏手に それはありました。
ベンチがありました。
草野球をしました。
応援団の練習がありました。
夏は川にもはいりました。
堤防沿いにあるくと 図書館もありました。

「コッキーポップ」を聴いていました。
地元のラジオよりもよく聴こえました。
「恋は水色涙色」を聴いて都会を想って、
「青い涙の味がする」を聴いて故郷を想いました。
「歌は世につれ」も「青春に後始末」も、
どれもこれも そのころのわたしにとっては
すごく身近な、だけどもあきらかにバーチャルな
ずっとむこうにある物語でした。

そして
あっというまではなかったけれど、
それは現実にやってきて
わたしは大人になりました。

天野くんの細やかなビブラートが好きでした。
少年のような歌詞が好きでした。
ちょっといなかくさいメロディーが好きでした。
音楽番組をもう十数年 お仕事としてわかるのは、
たぶん それはどこをとっても、
プロとして上手ではなかった
群を抜いてはいなかったのだ
という事実。
よしだたくろうはそのころ天才でした。
井上陽水はそのころから抜群でした。
けれど知る限り、同時期のあらゆるフォークシンガーたちの中で
彼らのうたううたは わたしには切なかった。
わたしの人生の中で 圧倒的に切なかった。
「あせ」のようなハッピーな1曲も
「バスケットシューズ」みたいな軽やかな1曲も
最近になってまた大好きな「スープ・イン・ザ・モーニング」も.
少女期に聴いた 少年のうたたちは
今でも わたしの中のいちばん少女の部分を
刺激し続けます。
そして今日もまた、 新しい時代の少年のうたが
世の中に聴こえてくるたびに、
N.S.Pのうたが わたしの奥のほうから聴こえるてくるのです。

大人になってしまったわたしは 彼らとお仕事もして、
天野くんと平賀くんは
天野さん,平賀さんになってしまったけれど。
いなかの堤防はもう
ずっとむこうにかすんでしまったけれど。