NONFIX過去放送した番組


近ごろ日本映画は元気である。

海外映画賞での華々しい活躍や興行収入の増加。80年代以降、長い低迷期にあった邦画界がようやくかつての活気を取り戻そうとしている。そんな中、内々で"70年代最後の天才助監督"と称された一人の映画人がこの世を去った。

下関の演劇青年だったころ大島渚にそそのかされ、
映画監督を夢みて故郷を飛び出した男。

日本のニューシネマブームにどっぷり浸かり、
助監督として不動の地位を築いた男。

しかし、この男が68年の生涯で
本当に夢見た劇場映画を撮ることは一度もなかった…。

◎時代を駆け抜けた天才助監督/小池要之助
「蘇る金狼」「処刑遊戯」「野獣死すべし」…。
70年代後半から日本映画に旋風を起こした松田優作のハードボイルドアクション。
そんなヒット作の陰に天才助監督と呼ばれた小池要之助の存在があった。現場の立ち回りや出演者への根回し、そして演出の細部にいたるまで、それぞれのヒットは小池の仕事ゆえに成立したとまでいわれた。

しかし、そろそろ監督かと噂がたちはじめた頃、日本映画は業界的衰退の一途をたどり、
小池要之助に監督の仕事は廻ってこなかった。時代の渦に巻き込まれつつ、小池も当時主流となって行ったテレビ映画へと移っていく。そこで代表作となったテレビドラマ「探偵物語」で監督を手掛けることになる。

その後、レンタル専用ビデオドラマなどの演出も舞い込んだ。だが、あくまでも劇場映画の監督を夢見ていた小池。ついにその夢果たせず、2010年9月、気管ガンのため生涯を閉じることになった。

はたして小池要之助とはどんな男だったのか。映画監督なのに映画にあこがれ、どんな映画を作りたくて、人々に何を伝えたかったのか。今回のNONFIXは、ハードボイルドアクション全盛の日本映画やテレビドラマの現場に充満したフィルム屋たちの匂いをかぎつつ、天才助監督と呼ばれた小池要之助のハチャメチャでありまっしぐらだった実像を訪ね歩く。