昭和20年8月6日、午前8時15分。広島に原子爆弾が投下され、一瞬の閃光が全てを焼き尽くした。14万人の命が一瞬のうちに消えたそのとき、すべてのものが原爆の爆風、熱線、放射線などの被害を受けた。
その中で、焼け残ったピアノが数台ありました。
ピアノは、広島市郊外に住むピアノ調律師の矢川光則さん(57歳)に託され、矢川さんに修理されたピアノたちは再び音を奏でることが出来るようになりました。
矢川さんは、ピアノ調律の仕事の傍ら、所有する数台の被爆ピアノによるコンサートを通して被爆の記憶をたくさんの人たちに伝えてきました。
今年5月、そうした矢川さんの活動を知った80代の女性・カズコさんが、市内段原山崎地区で被爆した1台のピアノを矢川さんに託しました。
カズコさんに託されたピアノを修理して8月6日の原爆の日にお披露目しようと心に決めた矢川さんは、修理をはじめます。
その一方で、矢川さんは所有している他の被爆ピアノでコンサート活動を続け、広島県内はもとより、関西や、関東、東北、果ては北海道まで自らトラックを運転して被爆ピアノの奏でる音色を届けに行きます。
被爆ピアノの行く先々には、被爆ピアノに魅せられ、矢川さんの活動に共鳴し、強い思いを持ってコンサートに参加する人々がたくさん集まります。
そのひとり、香川県のジャズピアニスト・好井一條さんは、3年前にお母さんが亡くなってからピアノから遠ざかっていたものの、被爆ピアノに出会って、ピアニストになった理由が見つかり、胎内被爆ピアニストとして、被爆コンサート活動を始めました。
また、大阪のピアニスト・山田紗耶加さんは、矢川さんの活動をラジオで偶然聴き、強いものを感じて活動に参加することになり、関西での活動を中心に、矢川さんとともに被爆ピアノコンサート活動をしています。
もうひとり、広島在住のピアニスト・向井理佐美さんは、矢川さんがコンサート活動を始めた当初から、活動を共にしてきました。
また、被爆ピアノによる平和活動に強い思いを持って、矢川さんをサポートするボランティアの人々もたくさん矢川さんの周りに集っています。
8月6日、被爆ピアノに対してそうした強い思いを持っている人々が、平和記念公園の片隅に被爆してもなおたくましく生き続けるアオギリの木の前で行われる「アオギリ平和コンサート」に集まります。
そして、5月に託された被爆ピアノが矢川さんに修理してもらいながら、お披露目の時を待っています。
果たして、被爆ピアノに対して強い思いを持ったそれらたくさんの人々が集う今年の8月6日のコンサートはどのような盛り上がりを見せるのでしょうか…。