高齢化社会を迎え、介護問題について日夜、さまざまなメディアが取り上げている。しかし、大半は高齢者自身やその子供へ向けてのメッセージが多数で、若い世代が現実を見る機会は多くない。視聴者の多くが20代である『NONFIX』。そうした世代に、今ある現実を直視してもらうことで、将来自らにどのようなことが起こるのか? 今後日本はどのような対策を考えればいいのか? …この番組を機会に考えていただければ、と思います。
65歳以下で発病するいわゆる「若年認知症」の患者は全国で10万人といわれる。その半数以上は「アルツハイマー型」といわれるものだ。現在の医学では、原因も、根本的な治療法も見つかっていない。認知症に対する大きな誤解のひとつに「介護する家族は大変だが、患者本人は呆(ほう)けているから何もわかっていない」というものがあるが、実際の患者さんは、非常な不安感、焦り、屈辱感などに押しつぶされそうになって生きている。
思い出せないことがどんどん増え、今までできていたことができなくなり、症状は進行してゆく一方なのに特効薬もない。その絶望と、患者は、そして支える家族は、どう折り合って生きているのだろうか。私たちは、患者本人と介護する家族に密着し、「記憶をなくす」ことが人間にとって何なのかを見つめたい。
(1)加藤芙貴子さん(68歳)は8年前から認知症を患っておられるが、いまだに言語ははっきりしており、自分がアルツハイマー病であることも認識しているし、告知を受けた時のショックなども語っていただける稀(まれ)なケースである。
夫の芳郎さんは献身的に妻を支え、家事を肩代わりするだけでなく、妻の記憶を少しでもよみがえらせようと、昔の写真を壁一面に貼って毎日見せている。
芙貴子さんには毎日のように口にしている願いがある。元気な頃は夫と毎年のように旅行していた大好きなスペインに、死ぬまでにもう一度行きたいのだ。発病してからずっと行っていないが、最近妻がスペインのことばかり話すので、芳郎さんも多少のリスクは覚悟して連れて行ってやろうかと思い始めている。スペインに友人の多い芙貴子さん。果たして友人たちのことは思い出せるのだろうか。
そして旅から帰った時、彼女の心には何が残るのだろうか…。
(2)大阪在住の奈良誠巳さん(69歳)は50代後半から発病。最近は病気の自覚もなくなり、妻の紀三代さんのことを妻と認識できないことすらもある。妻は、ついイライラしてしまう自分と二人だけで暮らすよりも、プロの介護士のいる施設に預けた方が、夫のためには良いのではないかと悩んでいた。
そんな昨年の夏、夫が家から突然出て行って失踪。まる一日帰って来ないという事件が起きた。警察に保護されてことなきを得たが、妻は、もうひとときも目を離せないと思い、施設に預けることを決意。事情がわからず怒り出す夫。それでも子供のいない奈良さん夫婦には、認知症患者専門の施設しか頼るところがなかった。
夫を預けて半年経った初冬。妻は、何もわからなくなっていたと思っていた夫が書いたメモを、戸棚の中から見つける。そこには夫の思いが切々と書かれていた…。
私の亡くなった祖母も認知症でした。当時私は、祖母の介護をしている叔母には同情していたものの、祖母に対しては「おばちゃんはこんなに大変なのに、呆けちゃって何もわからないから本人は幸せよねぇ」と思っていたし、実際、祖母本人を目の前にしてそう言っていました。
しかし一昨年、京都で「国際アルツハイマー学会」が開かれたというニュースをたまたまテレビで見ていた時、オーストラリアから来日した認知症の患者さんが講演する姿に衝撃を受けました。その患者さんは、認知症になった自分の絶望感を切々と訴えていたのです。認知症になったからといって、何もわからなくなるわけじゃなかったんだ! 後悔が一気に押し寄せてきました。もしかしたら祖母も、どんどんわからなくなってゆく不安に押しつぶされそうになっていたのではないか。なのに私は、そんな祖母の苦しい思いを一度も聞こうとしなかった…。
「今からでも“患者さんの思い”にきちんと向きあって、耳を傾けてみたい」私を、かわいがってくれた祖母に対する贖罪(しょくざい)から、この企画は生まれたのです。
この番組を見てくださった方々が、もしも自分の家族が認知症になった時、私と同じ後悔をしなくてもすむように、患者さん本人の思いをちゃんと届けられれば、私の償いは少しは果たされたのかな、と思います。