2005年4月27日(水) 02:28~03:23 放送 (2005年4月26日(火) 26:28~27:23 放送)
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憲法が発布されてからおよそ60年。長い歴史を経て憲法は現実との間で徐々に整合性が取れなくなってきた、と言われて久しい。今、戦後初めて国会レベルで改正論議が進行。各政党も今年から来年に掛けて改正案を続々と発表する予定だ。新聞各紙の世論調査でも多くの国民が改正を支持。世の中の動きは改正に動いているかに見える。
政治の季節を経験していない40歳代以下の人々の多くにとって憲法は遠い存在であり、学生時代に一夜漬けで覚えた程度しか知識がない、というのが一般的だ。でも国の憲法が変わるかもしれないのに我々はいつものように冷めた目で見ていていいのだろうか?
今回、憲法の置かれた現状や憲法そのものを見つめる事で、少しでも多くの視聴者に憲法を考える機会を提起できれば、という考えのもと、シリーズで幾つかの条項に迫る事にしました。そもそも条項の裏にはどんな思いがあったのか? どんな事実があったのか? 政治に無関心と言われる世代のディレクターは今をどう見るのか? 何が議論になっていてどんな意見があるのか? 教科書的な番組に終わらせないように様々な手法、角度から色々な考え方を提起し、議論のきっかけになれば、と考えております。
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25条「健康で文化的な生活」とはなんだろう? 誰がその基準を決めるのだろう? 今の時代における「幸せ」とは何か? を考える番組です。日本に住んでいれば誰にでも起こりうる不幸が起きてしまったら?
山古志村の人々。ごく普通の生活をしていた人々が国に守られる立場に立たされた。現在、ガス・水道が完備していない仮設住宅に住まざるをえない彼らにとって「健康で文化的な生活」は守られているのか? 一時的に「生存権」を守ってくれている国はいつまで守ってくれるのか? 普通に暮らしていた人間が不可抗力で保障される側に立たされた現実、誰にでも起こりえる危機と権利保障について考えたい。
国による生存権保障義務の範囲・権利自体をも深く考えさせられるきっかけになった水俣病。昨年10月公式発見から48年、最高裁で国の責任を認める司法判断が確定。
しかし、多額の保証金を支払う事を避けようとしている国は司法判決を受け入れる姿勢を見せていない。憲法の生存権は理想なのか?
生存権が認められなかった時代。60年前、学徒出陣で特攻隊員として生きた人々。故郷や家族を守るために自らの生存をかけたという人々は自分の生命をどのように考えていたのか?そして今、生存権をどのように考えるのか?