2004年12月29日(水) 03:10~04:05 放送(2004年12月28日(火) 27:10~28:05 放送)
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【再】 2006年4月6日(木) 02:35~03:30 放送(2006年4月5日(水) 26:35~27:30 放送)
【再】 2006年11月16日(木) 02:28~03:23 放送(2006年11月15日(水) 26:28~27:23 放送)
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仏教誕生の地インド。そこに日本人の「菩薩」がいた…
10億人以上の民を抱える悠久の国インド。その8割はヒンズー教徒であるが、そこはまた仏教発祥の地でもある。
佐々井秀嶺(69歳)、インド名アーリア・ナーガルジュンは、インドの仏教徒が最も尊敬する僧侶である。昨年、インド政府が代表を任命する少数委員会の仏教代表に選ばれ、インド仏教の世界で名実ともにその象徴として活躍している。
番組では一ヶ月間インドロケを敢行。彼が導師を務める100万人のインド仏教徒による「大改宗式典」を軸に、佐々井秀嶺とインド仏教の現状に迫る。
仏教発祥の地、インドで、1億人の信者を擁する仏教徒のリーダーとして活躍している日本人、佐々井秀嶺(しゅうれい69歳)。インド政府が代表を任命するマイノリティ・コミッション(ヒンズー教以外の宗教をまとめた組織)の仏教代表に選ばれ(任期2006年)、宗派や派閥の存在しないインド仏教の世界で名実ともにその象徴として活躍している。
佐々井がインドに渡ったのは37年前、32歳の時。彼の人生は戦後の混乱期を生き抜いた型破りの人生だった。出身地、岡山での幼少時代は思いこみの激しい無鉄砲な性格。そして初体験が10歳という「異常なまでの性欲」。先祖から受けついだ「色情因縁の血」に苦悩する日々。16歳で家を飛び出したあと、綿やの丁稚奉公、工員など、職を転々とするうちに坊主になることを思い立ち、24歳で高尾山薬王院で出家。さまざまな荒行を繰り返し、たちまち、名物坊主になる。海外視察をきっかけにインドに渡り、インド仏教の惨状に衝撃を覚え、インド中部ナグプールに定住した。以来日本には一度も帰っていない。
佐々井はこの37年、インド仏教復興のために、満身創痍でインド各地で布教を続けてきた。インド中部、ナグプールはインド憲法の父でカースト最下層「アティ・シュードラ」出身のアンベードカル博士が50万人の民衆とともに仏教徒に改宗した、仏教徒の「新しい聖地」ともいえる場所。仏教徒は貧困層に多く、寺もなく、ヒンズーやイスラム教徒との縄張り争いの中で生きていた。そうした仏教徒の状況を何とか変えるため、断食、辻説法、政府への陳情などあらゆる手段で熱心に活動を続けるうち、自然に日本人僧侶、佐々井の名前がインド中に知れわたるようになった。
国際社会が佐々井を評価し始めた。佐々井は布教とともにほとんど野ざらしになっている仏教遺跡の復興運動にも力を入れている。その最も大きな運動がビハール州、ブッダガヤーにある仏教の聖地で長くヒンズー教徒の管理下にあり荒廃した大菩提寺の変換運動。1992年からデリーまでの陳情行脚を続け、次第にその重要性が世界に認められ、ついに2年前にユネスコが世界遺産指定するほどになった。(現在も運動は継続中)ほか、ナグプール近郊の巨大仏教遺跡の発掘など、仏教史を塗り替える発見が佐々井の運動で次々と見つかっている。
しかし、佐々井がさまざまな評価を受けるようになったのはごく最近のことだ。佐々井の発言には大言壮語も多く、怪しい魅力を放つ。行動手法は自ら先頭を切っての体当たり。そうした破天荒なやりかたを心良く思わない人も多かった。しかし、佐々井はインド民衆の懐深くに入り込み、人の心をとらえてきた。
アンベードカル改宗式の導師を佐々井が務めるインドは21世紀の大国といわれるが、カースト制度により多くの貧困層を抱えている現実は100年前から何ら変わっていない。そのインドで仏教改宗はヒンズー教徒がカーストから解放される一つの手段である。佐々井は今そこにある貧困の一助となるために、死ぬまで活動を続ける覚悟でいる。長年の体の酷使と70にさしかかる年齢とで弱くなっていく自分を自覚する毎日。残された時間は短い。
佐々井は今、インドで最も尊敬される仏教指導者だ。毎年10月に開かれる100万人の大改宗式を軸に佐々井秀嶺とインド仏教の現状に迫る。