2003年10月26日(日)03:13~04:13 放送 (2003年10月25日(土)27:13~28:13 放送)
遠藤盛章55歳。「戦場」ビデオジャーナリストである彼は、今年2月、開戦前のイラクにヨルダン経由で入国した。待機すること約1ヶ月、3月20日に米英軍による空爆が始まり開戦した。遠藤は、それから2週間ほどした4月2日、空爆で崩壊したビルなど街の様子を撮影していた。取材はイラク政府の監視下におかれ、必ず情報省の役人を同行しなければならなかった。さらに彼は衛星電話とテレビ電話を持っており、彼は地元警察に「スパイ罪」で捕らわれ、その後秘密警察に引き渡される。
秘密警察に捕まった彼は300人の政治犯といっしょに、バグダッドから30キロのところにあるアブグレイブ刑務所に囚われる。縦じまの囚人服を着せられた遠藤は、フセイン政権下では裁判もなしにいつ処刑されても不思議ではなかった。空爆の爆音と処刑の恐怖にすごした9日間であった。
バグダッド陥落、フセイン政権崩壊の4月9日から2日後の11日、180人の囚人全員が解放される。九死に一生を得た遠藤は、日本に帰国後、ふたたびイラクをめざす。
フセイン政権とは、なんだったのか、その真実を探るために……。
遠藤は7月から8月の45日間をかけて、「囚人仲間」であったフセイン政権下の「政治犯」たちを訪ね歩く。報じられなかった、サダムフセイン政権下の“秘密警察”の実態は、フセイン独裁で実際に行われていた圧政とは、虐殺の真実は、大量破壊兵器はあったのか、そして、サダムの足取りは…。
そして、遠藤にはもうひとつの大きな疑問があった。
終戦間際、遠藤たち「囚人」は「グッドニュースがあるぞ、外へでろ」と屋外に出されるがそのとき屋根には銃を構え、囚人たちを処刑しようとしている多数の兵士たちの姿があった。万事休す…。しかし、将校たちの言い争う声が聞こえ、結局処刑は実行されなかった。なぜ、遠藤を含む300人の「囚人」たちは処刑されなかったのか…?
そこにはイラクの杉原千畝ともいえる人物の存在があったのだった。