2019.04.27更新
今回のゲストは、出川哲朗、ウド鈴木、飯尾和樹の3人。平成のはじめに芸能活動をスタートさせ、平成の30年間を駆け抜けてきた人気芸人たち。一緒に旅行するほど、普段からとても仲が良い3人が、出会いや意外な過去、大物芸能人との思い出、それぞれの“芸”について語り合う。
左から、飯尾和樹、出川哲朗、ウド鈴木
20代のころからテレビ番組に出演していた出川やウドに対して、飯尾が芸人として頭角を現したのは30歳を過ぎてから。はじめのチャンスは、当時飯尾が出演した舞台の座長だった関根勤の後押しで決まった『笑っていいとも!』で訪れる…。
『いいとも!』のプロデューサーが舞台を見に来た際に、関根が飯尾の出演を後押ししてくれたという。
飯尾:関根さんが「(プロデューサーに)出演させてやってくださいよ」って言ってくれて、急に『いいとも!』に出たんですよ。
出川:やっぱ『いいとも!』のレギュラーは最大のチャンスだったもんね。
飯尾:チャンスです。だってもう、本当(自分の存在は)いいとも青年隊より説明が要る、「誰なんだ?」っていう。そしたら、その当時「あのジージャン着てる人は誰ですか?」っていうFAXが殺到して。俺、「いい質問ですね」って言っちゃったんだもん、本当に。
飯尾は3年間『笑っていいとも!』にレギュラー出演するが、ブレイクにはいたらず…。芸人としての飛躍は、その後に出演した『内村プロデュース』となった。その“内P”を通じて、芸人としての成長を自覚していくようになる。
30歳を過ぎ、“内P”で売れるきっかけを掴んだ飯尾のように「面白い芸人は必ず売れる」というのは出川の持論。
出川:結局、ちょっと時間がかかるかもしれないけれども、面白い人は絶対売れると。これだけがみんな支えで頑張れてるというか、お笑いだけは事務所のでかさとか関係なく、本当に面白かったら絶対に、時間はかかるかもしれないけど絶対に売れて、絶対に出てくるじゃない。そこだけが唯一、本当に芸能界で一番ピュアなところじゃない。結局ね、今こうして、しかも飯尾くんが呼んでくれてこの3人で(番組に出られた)。
ウド:そうですよ、本当に。
出川:最高の幸せだよね。
飯尾:本当に。
平成の時代を生き残ってきた3人。出川は「たまたま時代がリアクションを求めた時代だったから」売れたと語る。それぞれには、大切にしている芸能界の大先輩からかけられた言葉があった。
ウドは関根勤から、飯尾は明石家さんまからもらった言葉とその詳細なやりとりを明かす。さらに、出川は20年以上前にビートたけしから受けたとあるアドバイスを披露。後にも先にもただ1回のたけしとの食事の席でもらった一言は、『お笑いウルトラクイズ』でお茶の間の人気を得ていた出川の心に長く刻まれることに。
番組ではこの他にも「出川とウドが新宿でチーマーに絡まれる事件」「抱かれたくない男ナンバーワン時代の出川、実はモテたエピソード」「旅館で大寝坊~大感動の3人旅行」などが語られる。
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