2019.04.24更新
薩摩切子
あ〜美味しい日本酒でも注いで飲んでみたいな…そんな気持ちになる器がどれくらいあるだろうか?
江戸末期に薩摩の地で誕生し多くの人々に愛されてきた「薩摩切子」はその代表格と言っても過言ではないだろう。透明のガラスの外側に色付きのガラスをかぶせ、ダイヤモンドホイールで表面を削って生まれる華やかなデザインが人気だ。しかし、その歴史は波乱に満ちたものだったー。
1863年薩英戦争でガラス工場が焼失し、1877年頃薩摩切子の技術が途絶えてしまう。
しかしその100年後、鹿児島県がガラス職人を探し、その重大な任務を任されたのが中根櫻龜(おうき)さんだった。
資料も文献もいっさい残されていない中、江戸時代の薩摩切子を見て、削るための道具や削り方を研究し…1986年ついに復元に成功。島津家第32代当主、島津修久氏より「櫻龜」の命号を受けたのだ。
薩摩切子の師匠・中根櫻龜(おうき)さん
薩摩切子の復元を成し遂げた中根さんに、女優・藤田朋子が“弟子入り”することに。
『FNS27時間テレビ』で2回放送し大好評企画だった『免許皆伝』がパワーアップしてゴールデンタイムに登場する。師匠から弟子に奥義が伝授され、現在まで脈々と受け継がれている超人的な「技」の数々。番組はそんな伝統の「技」の師範に選ばれし芸能人たちが弟子入りをし、本気で奥義の習得に挑戦をするドキュメントバラエティーとなる。
藤田は番組で免許皆伝に挑戦する芸能人の一人。師匠の中根さんから初伝認定をもらうため、3つの文様を削るという課題が言い渡された。
1.六角籠目文(ろっかくかごめもん)…横線と斜め線の組み合わせで作る文様
2.八菊文(やつぎくもん)…六角籠目文の中に刻む菊の形をした文様
3.魚子文(ななこもん)…細かい斜めの線を重ねた難易度の高い文様
番組の企画とはいえ、本当にこれが10日前後の修業で習得できるレベルのものなのか?
藤田本人は「薩摩切子はアクセサリー作りで体験したことがあるが、難しかった」と語り、そんなに甘い道のりではないことを最初から理解しているようだった。
藤田朋子の顔に削りくずが・・
日本の伝統工芸に再び命を吹き込んだ師匠。そんな偉大な師に弟子入りするために藤田は鹿児島に来たのだ。初日から真剣そのもので削りに熱中していた。
しかし…
「まっすぐ削れない」
師匠が手取り教えてくれるも、
藤田は「わかります、わかります、、でも全然できない」と嘆くばかり。
斜めの線は難易度がかなり上がる。グラスを回転させながらひねりを加えるというプロの職人でも難しい技だ。
次から次へと新しい文様の指導に入る師匠。通常は2年はかかるというこの3つの文様を、わずか10日あまりで修得しなければならないのだ。ある意味、無謀ともいえるチャレンジである。
藤田は東京に戻っても仕事の合間にガラスを削り続けた。
どうしてもまっすぐの線を生み出すことができない藤田に、師匠・中根さんはあるものを持ってきてくれた。透明のガラスだ。色付きのガラスを削るより、どこに刃があたっているか見やすくなる。
藤田「透明になって、できなかったこともたくさん見えてきた。一方でこれは大変だぞって思った」
試験を翌日に控え、藤田はさらに集中力を増していた。削ったくずが顔中にまとわりついてしまった藤田にスタッフが「顔を拭きますか」と声をかけるも「いや、今やめられない」と手を止めることはなかった。
実は、師匠の中根さんはこんな本音を漏らしていた。
「最初(藤田を)見たときに正直この先どうなるか…」
ついに試験当日、藤田は黙々と削り続けた。師匠の中根さんや工場のスタッフたちも心配でたまらない…が、藤田を助けることはできないため、ただただ背中を見つめるだけー。
番組初、2日間にわたる長時間試験となった。「薩摩切子」3つの課題を次々と完成させていく藤田だが、その顔に余裕はない。
削りの工程が終わると、磨き職人の元へ。藤田が削ったタンブラーがきらきらとした輝きを纏い、その出来栄えに本人も感激する。少し自信がついたのか、笑顔で師匠が待つ工場へ持っていく藤田。
緊張感が漂う中、師匠は丁寧にかつ鋭い目でひとつひとつの削りを確認し、ゆっくりと“答え”を出す。藤田の目には涙が…。幻の伝統工芸「薩摩切子」の奥深さを知ったところで、美味しい日本酒を注ぎたくなる思いがさらに強くなっているに違いない。
中根さんの作品 価格はなんと…669万6000円だ
掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。