2015年7月25日(土)放送
1945年に広島で被爆した体験を精力的に語り継いでいる服部道子さん86歳。
東京都出身で、現在は埼玉県で暮らしている。
服部さんは16歳の夏、広島市で見習い看護師として働きだしたばかりだった。
その広島市に8月6日8時15分、アメリカ軍が原子爆弾を投下。
当時、爆心地から3.5kmの軍医部に勤務していて被爆したが、奇跡的に助かったという。
二度とあの悲劇を繰り返してはならないと被爆による病魔を何度も克服し、約50年、語り部を続けてきた服部さん。
しかし、年々、小中学校からの依頼が減ってきていることが残念だという。
取材したこの日、服部さんは教師や教師を目指す学生に向けた平和勉強会で被爆体験を語った。
「バーンって光り、その光りたるや一面7色で、それと同時にドカーンって…
病院に運ばれて来た被爆者の目玉にガラスが刺さっている状態を想像できますか。
それを取らなきゃ壊疽(えそ)して死んでしまう。
医師から取ってやれと言われたが、当時16歳の私は手が震えて取れなかった。
顔もゆがみ、大きく腫れて、“助けて下さい”“お水を下さい”って…
お水の“お”も出ないくらい苦しい。
あの悲劇を自分のことのように思ってもらいたい」
戦後70年―。
当時の記憶が薄れゆく中、服部さんの体験談を継承しようと立ち上がったのが、中学と高校で社会科を教える中村紗央理さん27歳。
「戦後は年々経過していく。
少しでも実際に体験された人の話を伺ってまとめておくことが、これからの教員というやりたい仕事の糧になるのでは」
と話す。
中村さんは5年ほど前に服部さんと出会い、被爆体験談の紙芝居を制作し、生徒たちや教師仲間、戦争展などのイベントで戦争体験談を語り継いでいる。
今回の平和勉強会に参加した英語教師は
「外国の人にもぜひ、英語で伝えていきたいと思うし、継承ができる生徒を育てていきたい」
と話した。
服部さんと共に戦争体験を語り継ぐ中村さんは
「戦争が終わって70年だが、体験された人にとっては、まだ終わっていない部分があるのではと思っている。
しっかりと伝えたいことを受け止めて、それをまた次の世代に伝えることができればいい」
と最後に締めくくった。