『ハッピーバースデー』
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■ハッピーバースデーとは
今回お招きした原作者の青木和雄先生は校長先生も務められ長年にわたり教育カウンセラーとして活躍されてきました。また吉富多美先生も執筆活動の他、「神奈川子ども未来ファンド」というNPOを通し、子どもたちは皆の宝と考え子どもたちを様々な形で支える活動を続けています。
「ハッピーバースデー」は小説ですが、実は実際に青木先生が出会われた母と娘がモチーフになっているのです。
ある日お母さんが娘を連れて、娘の声が出なくなった、と相談に来たそうです。お母さんは「この子は本当にぐずで」と娘本人の愚痴を語り始めたそうです。
母親は子どもに対し「あんたなんか産まなきゃよかった」と言ったこともあったと聞き青木先生は驚き「お母さんそんなことを言ったらどんなにお嬢さんは辛かったことか」と言わずにいられなかったそうです。次第にお母さんと話しを進めていく内に母親自身から、「実は私母親に愛されてこなかったのです。」という告白があったそうです。そんな母親からの言葉を受けながらも青木先生が娘に「お母さんのこと好き?」とたずねるとこくりとうなずいたそうです。「大好きなのに自分が悪い子だからお母さんが好きって言ってくれないの」というお嬢さんの心の叫びが聞こえたように青木先生は思ったそうです。
この体験を通じて、心の叫びが大人に通じてない、理解されてない、ということを世に伝えたいと思い、吉富先生としるしたのが「ハッピーバースデー」なのです。
さらに、この本を初めてしるしたのは1997年。神戸の児童殺傷事件や、動物殺傷事件が多数の学校で起きていた頃で、「命の大切さを伝えたい」と思われたこともこの本をしるした大きな理由になっているということです。
吉富先生も様々な親子の悩みに向き合ってきた中であるエピソードが忘れられないと言います。
その母親は「子どもと相性が合わない」と訴えてきたそうです。そんなショッキングな一言にカウンセラーをやめようかとまで思われたそうですが、親子との対面を根気強く続けたそうです。その結果見えてきたのは母親が抱えていた問題でした。子どもの頃からずっと裏切られてきた、と語る母親は誰も信じられない人となってしまい心にプロテクターを付けずには生きられない人となってしまったのでした。吉富先生は子どもを虐げる母親というのは自分とは無関係の人間と思っていたけれどそれは傲慢な考えだったとその時発見したそうです。もしも自分も親から愛を受けていなかったら、友人がいなかったら。自分にもそのような親になってしまう可能性があると知ったのです。
一日一回でいいから子どもを抱きしめてあげてほしいと吉富先生は母親に語ったそうです。
その後母子は転居してしまい連絡も取れなくなり心配していたところある日その母親から手紙が届いたそうです。「抱きしめても最初は固かった子どもの体がだんだんと柔らかくなり、昨日初めて子どもが私の胸の中に飛び込んできてくれました。温かい体温を感じました」と書いてあったそうです。
吉富先生も自分自身に問いかけるそうです。ぜひ皆さんも、「どれだけ子どもの言葉に耳を傾けてきただろうか、心に寄り添えたか」、と問い直していただきたいと語っておられました。ドラマがそんなことを考えるきっかけになることを願っていますという吉富先生の言葉にシンポジウム主催者もあらためてドラマに課せられた使命を感じました。
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