#191 栃木県益子
2007年5月29日O.A
旅路の果てで見つけたもの〜濱田庄司と益子〜
約380の窯元と50軒の陶器店が集まり、陶器の郷としてその名が広く知られている「益子」。
今から150年ほど前、大塚啓三郎氏が益子に窯を築いたことを発端に、益子焼は世に知られるようになりました。当時は、鉢や土瓶と言った日用品の道具として使用されていた益子焼。その益子焼を民芸運動により「芸術」と言う域まで名を高めた陶芸家が、人間国宝・濱田庄司なのです。
川崎出身の濱田でしたが、よき焼き物を生み出すため、京都、英国、沖縄…と、日本各地で研鑽の日々を重ねていました。そんな経験から、彼は珍奇なものより実用的でいいものを作りたい、と気づいたのでした。
その濱田が自身の人生最後の場所として選んだのが益子だったのです。彼は益子焼が持つ美しさを、よりいっそう際立たせることに成功。以後、益子焼の名は全国に轟くことになったのです。
[0]もどる
(C)フジテレビジョン