#160 新潟県関川村
2006年10月3日O.A

  • 民に慕われた渡邉家

  • 日本屈指の豪農・渡邉家―
    米沢藩の財政を長きにわたって下支えし、民を救い続けた一家です。

    歴代の当主の中でも七代当主・渡邉三佐衛門善映は、多くの領民に慕われ、その後の渡邉家の方向性を決める「家訓」を作った人物とのこと。

    善映の時代は天明・天保の飢饉が起こり、各地で飢饉、水難が多発。当然、被害はこの地にも及び、多くの人々が凶作に苦しめられていました。
    それを見かねた善映は、飢饉や水難で困窮している窮民に籾や金をさし出し、救助に専念。自分を常日ごろ支えてくれている人たちに対し、少しでも力になろうと活動を起こしたのです。
    善映が作った家訓の中に、「温情を持って人と接すること」という一文があります。この文章からは、周りの人に対する善映の姿勢がうかがえます。各地で一揆が多発していた中、渡邉家に対する一揆が起こらなかったのはこの家訓があったからだといわれています。

    「自分のためにではなく、人のために」。 民と共に生きる姿勢を貫いた渡邉家。
    多くの領民に慕われるべくして、慕われた彼らの精神は、この地に今も息づいています。

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