#78 青森県黒石市
2005年2月8日放送
津軽じょんから節の発祥地
慶長2年(1597)年、大浦為信に攻められ十一代にわたって津軽の東の山根に繁栄した千徳家が滅亡。落城とともに神社・仏閣がすべて焼失したが、この時千徳家代々の菩提寺である神宗寺の一坊辻堂に奉仕していた常椽和尚が、先祖代々の位牌を背負い逃げたが、捕らえられそうになったので白岩の断崖から浅瀬石川(上川原)に身を投じて一生を終えた。
年を経た夏に、川原で遊んでいた子供達が常椽和尚の変わり果てた遺体を砂の中にみつけ、村人が相談して墓をつくりねんごろに弔い、後にその場所を常椽川原と呼ぶようになった。それから毎年、お盆には常椽川原に集まり供養をし、代々の城主はじめ先祖の霊を慰め、盆踊りとして落城と常椽和尚と浅石城の全盛時代を偲び、即興で歌われたのが「津軽じょんから節」の始まりだと言われている。常椽川原もいつしか上川原(じょうがわら)となり、更には「じょんから」と言われるようになった。
現在、上浅瀬石と石名坂に架かるじょんから橋のたもとには、じょんから節発祥地の石碑が建っている。
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