#74 青森県弘前市
2005年1月11日放送

  • 津軽藩に嫁いだ三成の娘の悲運

  • 津軽藩の祖、津軽為信の後継で、2代目藩主の信枚(のぶひら)の元に、関が原合戦の数年後、石田三成の娘・辰子が嫁いできた。しばらくは信枚と仲睦まじく暮らしていたが、やがて信枚の正室として江戸から徳川家康の娘・満天姫が送られてきた。世は徳川時代。豊臣方の三成の娘は当然のごとく信枚を奪われ、全てを失う事になった。辰子は上野(こうずけ)国に流され、悲憤のうちに生涯を閉じたという。しかし後に、長子信義が3代目藩主となった事が唯一の喜びであったかもしれない。

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