#70 秋田県秋田市
2004年12月7日放送
世界一の油絵にかける情熱と友情
「すべては二人の男、父・平野政吉と藤田嗣治との出会いから始まりました。」
平野政吉美術館の館長・平野誠氏は言う。平野政吉は秋田の大地主の三代目として生まれ、絵の好きな少年だったが、画家になりたいという夢は父の反対で断念してしまった。その情熱は美術品の蒐集に向けられ、1929年東京で開催された藤田嗣治の個展を見て、その作品に魅了され、藤田作品の大蒐集家になったのである。
「私の絵は全部国宝ですから」という藤田に政吉は「あなたが世界一の芸術家なら、世界一の絵を描いてもらいたい」と言った。すると、「それだけの覚悟と準備があるならば描きましょう」と約束。
このやりとりで、縦3.65m、横20.5mの大壁画「秋田の行事」が誕生することになる。着手する1939年以前に藤田は何度も秋田を訪れ、市内の風景・風俗をくまなく観察。そして、世界一の大きさの絵を世界一速く描き上げると豪語した藤田を見ながら、政吉は藤田に言った。「いい加減な絵を描いたらお金は払うが、目の前で破いて燃やしてやる」と。
藤田は政吉の芸術に対する本物の情熱を感じ取った。そして、藤田はアトリエにこもった。毎日、朝8時から夜8時までの12時間、食事と休憩以外は休みなく脚立に乗り、作品に命を注いだ。そして、あの超大作「秋田の行事」が生まれた。
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