#48 山形県 酒田
2004年6月29日放送
湊の繁栄を支えた商人魂 〜酒田36人衆〜
文治5年、奥州平泉の藤原氏が滅亡したとき、秀衡の妹「徳の前」ともいわれる女性が、36騎の従臣たちとともに、酒田に落ち延びてきた。「徳の前」はやがて剃髪し、尼となって「泉流庵」と名付けた尼庵を建てたのが泉流寺のはじまりといわれている。
「酒田の商人は当時から、排他的ではなく他国の商人を受け入れて競い合うという、自由で開放的な気風を持っていた」
ともにこの地へやってきた36人の遺臣たちは、地侍として住み着き、回船問屋を営んで、町政を取り仕切るため「36人衆」を組織。彼らの尽力により酒田の街は「西の堺・東の酒田」といわれるほどに繁栄した。井原西鶴の「日本永代蔵」にも「北国一番の米の買い入れ、惣左衛門という名をしらざるはなし」と紹介された酒田の豪商、池田惣左衛門(屋号「鐙屋」)は36人衆の筆頭として現在もその栄華を伝えている。豊かな港町は、誇り高い商人や地主たちの力によって形作られていったのである。
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