#45 栃木県 日光
2004年6月8日放送
平和の神となった家康
徳川家康公なくして、日光の発展はありえなかった。発端は、家康公の遺言にあった。天下統一後、江戸に徳川幕府を開いた家康公は、これを盤石なものとし、その後、一族に幕府経営を維持させた後でも、世の安寧を永続させるため、次のような遺言を残したのである。
「日光山に小さな堂を建てて、自分を神としてまつること。自分は、いずれ日本の平和の守り神となる」日光は江戸のほぼ真北。北天は、宇宙の中心であり、不動の北極星を中心に星々が規則正しく運行する。これがこの世の規範であり、江戸から見れば、その要の位置に日光がある。つまり、江戸と北極星を結ぶ宇宙の中心軸にまつられることによって、日本の平和の守り神になろうとしたのである。
この遺言のなかでは「小さな堂」とあったが、家康公を追慕する三代将軍家光公によって絢爛豪華な社殿に建て替えられた。おかげで、私たちは江戸初期の芸術の粋を集めた、世界に誇る日光東照宮を目にすることができるのである。
ただし、ひと言付け加えるべきだろう。一見、豪奢さばかりに目を奪われるが、この社殿にある彫刻類、「唐子」も、また「眠り猫」も「猿の彫刻」なども竜や貘の霊獣も、すべて平和・安寧を象徴している。ここは、彫刻の花咲き、烏歌う楽土でもある。東照宮には平穏を願い、高らかに笑い歌おうとする精神が宿っているのである。
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