#33 静岡県 下田
2004年3月2日放送
開国後の日本に、写真を普及させた男
日本の写真の開祖と言われている人物、「下岡蓮杖」。彼は、狩野春川の弟である薫川の弟子となるが、塾の講義で「西洋には奇妙な器械があり、この器械を一度差し向けられると、ひげ一本、ほくろ一つが寸分たがわず、鏡に映すが如く、鉄板に再現される」と聞き、蓮杖の興味をひいた。しばらくして師匠の使いで何度か薩摩藩の下屋敷へおもむく機会を得たが、そこで親しくなった藩士に「珍しいものを見せてやる」と言われ、一枚の鏡面に男の姿が映し出されているものを見せられます。「これは銀板写真と言って、筆で描いたものではなく、器械で写して薬で男を現したものだ。南蛮渡来の珍品で、日本に二つとないものである」と藩士は説明した。蓮杖はこの時、度肝を抜かれたという。この写真を見た蓮丈は「自分がいくら器用に描いても、この真似はできない」と思い、写真技術の習得を決意。ちょうどその頃、浦賀では黒船騒ぎが起こっていた。そこで蓮杖は、思い切ってその黒船に乗っている外人から教えを乞おうと、砲台の番人になって黒船を待ったりした。
1856年にはハリスが玉泉寺を領事館とすると、下田奉行所の足軽となり、外国人との接触との機会を得た。オランダ人通訳のヒュースケンから写真機の手ほどきを受け、下田開港場が閉鎖されると横浜に出て、米人ウンシンと知り合い、彼の帰国の際には念願の写真機を譲り受けた。そして、その写真機で実験を重ね、辛苦の末にようやく湿版写真術を習得した。その後、横浜野毛ついでは弁天町に写真館を開業。画家としての心得を生かして人工着色や画像の演出を行い写真館は大変繁盛したという。下岡蓮杖は写真の開祖と言われるまでになった、伝説の幕末写真師である。
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