「脳は揉んだらダメ」
赤井英和
当時の日本記録となる12連続KOを達成、KO率は85%を誇り「浪速のロッキー」の愛称で、プロボクサーとして活躍された赤井英和さん。高校時代からこんな過酷なトレーニングをされていたそうです。「朝4時くらいからロードワークして学校の道場で練習して、プロのジムでも練習して、それから青春というか夜遊びなんかもしてましたもんで、学校の授業中は眠とうてしゃあないんです。(寝ようと思っても)クーラーも何もない、風通しの悪い教室ですから(暑いんです)。それでも、上の方は天窓もあって風が通るから、机の上に机を置いて、バケツに水汲んでこさせてそこに足つっこんで寝てましたね。(先生は)何も言いませんでした」高校時代から強烈な個性を放っていたようですが・・・そんな赤井さんの運命の1戦となったのが、85年の大和田選手との対戦。7Rで相手の左ジャブをもらい無念のKO負け。試合後は、意識不明の重体で病院へ。これが赤井さんの引退試合となったのです。「(KOされたこのシーンは)何回も見てますけど、学生時代からプロまで70戦以上試合をしてますけど、この時の試合は記憶にないわけです。そのまま病院に行って開頭手術ですわ。頭の骨を外して、固まった血か何かを採るんですけど、脳が腫れてるから、骨をはめたら圧迫するからイカンということで(手術直後は脳の上に)皮だけを貼ってるわけです。オレはそんな知らんから、何か気持ち悪いなぁって・・・(気持ち悪い原因は)皮の下1枚脳ミソやがな。それで脳ミソ揉んだら、(その瞬間に)『オエッ!』って(吐きそうになって)。脳ミソだけは揉んだらアカンで!芸能界で脳ミソ揉んだのはオレだけやわ」この試合で引退した後、赤井さんはご自身の半生を描いた「どついたるねん」という本を出版。この本が映画化される際、赤井さんはその映画の主演として俳優デビューを果たしたのでした。
赤井英和プロフィール

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