「オレがいたから出来た甲子園球場」
山本譲二
歌手の山本譲二さんも坂東さんやTIMと同じく、山口県・早鞆高校から夏の甲子園に出場。県予選でも背番号7をつけレギュラー選手として大活躍されていたそうです。どれくらいの活躍だったのか、お話して頂きました。「僕が野球をやっていなかったら、僕が生まれてなかったら、僕が早鞆高校に入っていなかったら(早鞆高校は)甲子園には出てなかったですね。(一同の沈黙に)…いや、マジで。予選で僕は『光る山本の超美技』って言われるくらいの超ファインプレーをしたんです。(県予選の試合で)センターを守っていたんですけど、右中間を完璧に抜けるライナー性の当たりが飛んで来たんです。そのボールは取れるワケないんですけど、一応、形として一生懸命やってるフリをして飛び込んだら、(グラブに)ボールがバチンッて入ったんです。ワンアウト満塁だったんですけど、3塁ランナーを釘付けにしてその回は(失点をせずに)終わったんです。で、次の日、『光る山本の超美技』って下関新聞に出たんです。これがもう嬉しくてね。坂東さんには(この喜びは)分からんと思うよ。本当に嬉しかったですね。あのプレーがなかったら、僕らの高校は絶対に甲子園に出てなかったですね」なるほど…でも、まぐれなんですよね。

【プロフィール】
山本譲二

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