震災から5年。少女が亡きママに伝えたい事
第25回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『ママはいないけど 〜東松島市 震災遺児の5年〜』 (制作:仙台放送)
<7月22日(金)27時35分〜28時30分>
東日本大震災で両親もしくは両親のどちらかを亡くした震災孤児、震災遺児は岩手・宮城・福島の被災3県で1782人に上る(厚生労働省2016年9月調査)。宮城県東松島市で暮らす小学5年生の阿部花澄ちゃん(11)と弟の剛宜君(8)は震災で母親を亡くし、祖父母と暮らしている。幼いころに突然、母親を亡くした彼らの心情は計りしれるものではない。ただ日々、成長していく姉弟の姿は"震災から5年"という歳月を確かに感じさせてくれる。番組では震災遺児二人の姿を見つめ、その成長と心の変化を静かに記録する。
宮城県東松島市で暮らす小学5年生の阿部花澄ちゃん(11)と小学3年生の弟・剛宜君(8)。東日本大震災の津波で母の敦子さん(当時37)が犠牲になった。介護施設に勤務していた敦子さんは隣接する老人ホームの利用者を車に乗せ、指定避難所だった小学校を目指していた途中で津波に巻き込まれた。残された幼い姉と弟は、敦子さんの両親で住宅の建築会社を営む祖父の功三郎さん(69)と祖母の恵美子さん(68)と暮らし始める。何とか親代わりを務めようとする祖父母に対して花澄ちゃんはさびしさを口にはしようとはしなかった。
一方、剛宜君は恵美子さんを「ママ」と呼び、抱っこをせがむようになった。さびしさを抱えながらも祖父母の愛情を受け、すくすくと成長していく姉弟。しかし徐々に花澄ちゃんに変化が。家族と距離を置くようになり、特に祖母の恵美子さんとは些細なことでぶつかることが多くなってきた。剛宜君はサッカーを習い始めたものの、チームメイトが母親と仲良くしている姿をみると、さびしげな表情を見せていた。そして5回目の3月11日。花澄ちゃんと剛宜君は敦子さんが眠るお寺の追悼法要に参列した。震災の発生時刻の午後2時46分、空を見上げた花澄ちゃんはあることに気がつく。雲が晴れ太陽が出てきたことに…。「私の声をママが聞いていますように」。花澄ちゃんは「ママ」に、そして「家族」に伝えたい思いがあった。
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