『わが家の歴史』
[インタビュー]
佐藤浩市

ドラマとしてみていただきたいのは、そこに生きる人たちの前向きさ
国が大きく変わっていって、その中で自分たちの生き方とか場所とかが変革をとげる勢いがあった時代─今回、昭和の物語を撮るにあたり上海でロケがあったのですが、僕は敗戦後の時を知らないけれども、たぶんこんなエネルギーだったのかな、と感じました。
80年代からは昭和のもつ意味合いが少し違うと思うのですが、60年前後の、いちばん大きく揺れた頃の日本の匂いというものを、あの街に教えてもらった気がします。
今回は今までの三谷幸喜作品とまた色味が違いますね。歴史おたくで、コメディー作家でもある三谷さんの、それが得手なのか不得手なのかわかりませんが、「家族」のお話であり、ちょっと毛色の違う作品です。
僕(鬼塚大造)は実業家で、妻がありながらもうひとつの家族(八女家)を抱える。インモラルかもしれないけれど、歴史のなかでは普通に行われていたことでもあるし、あの時代の日本には女性の家族全員面倒をみるということが男の器量として、世間的にも認められていた背景があった。
そういう中で八女家というのは大造自身が知らない「家族」という世界観が広がりをもって存在した場所。そのあたたかさを感じつつ、なおかつ自分が全部引き受けているという誇りは、彼を支えていた。
僕個人は、家族の食卓の思い出、いっさいないです。父はほとんど家にいませんでしたし、母も外に出ていましたから、僕とお手伝いさんだけでした。この方(大造)と近いと思います。こういう人間がどういうふうな説得力をもってお茶の間に受け入れられるのか、それはわからないのですが、ただ人間の持ってる硬軟みたいなものがおもしろく出れば、と。硬軟でも強弱でもいいのですが、結局役として気をつけたい部分は、大きく強くみえる部分と、非常に脆い…弱者である部分。それが芝居の中での硬軟として、きっちりかたくやってるところと、一方、その人間の柔らかさ、おもしろく、ぐっと笑えてしまうような部分とが役に出れば、それはそれで僕なりに役目が果たせたかなという気がします。
ドラマとしてみていただきたいのは、そこに生きる人たちの前向きでポジティブなエネルギー。それは、決して妬みとか憎悪といった負のエネルギーではない。それが少し今の時代とは違うのかな。そういう部分を、このドラマを観て、まわりに対して、自分自身に対して、少し笑ったあとに、感じていただけたら嬉しいんですけれども。

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