神戸新聞の7日間
[あらすじ]

1995年1月17日(火)午前5時46分。阪神・淡路大震災発生。当時、神戸新聞社・写真部記者の三津山朋彦(櫻井翔)は入社4年目の報道カメラマン。現場を一人で任されるようになり、自分が撮る写真に自信を持ち始めていた。学生時代は大手マスコミの試験に全滅し、一般企業に勤めていたが、報道の仕事があきらめきれず、2年後、唯一合格したのが神戸新聞だった。

神戸新聞社・写真部。入社1年目の小藤香織(吹石一恵)が写真部デスクの則本に怒られている。小藤は泣きそうな声で、三津山に「どうしたら三津山さんみたいないい写真撮れるんですか」と聞く。

ワンルームマンションの中。眠っていた三津山をこれまで経験したことのない揺れが襲う。散乱した物の中から手探りで、洋服とカメラをつかみ、外に出て行く。三津山は取材をしながら、神戸新聞社に向かう。

会社に到着した三津山はメチャメチャになった編集局フロアにぼうぜん自失となる。壁から落ちた時計は5時46分で止まっている。写真部の部屋も自動現像機が横倒しになり、現像液が床一面をビショビショにぬらしている。

編集局長の山根(内藤剛志)は、ホストコンピューターが壊れ、新聞が発行できない状況にぼうぜんとなり、言葉を失う。だが、山根は「新聞は必ず出すんや!」と部下を鼓舞し、京都新聞社に電話をする。神戸新聞と京都新聞は新聞制作に、コンピューターを導入し始めていた当初、突発的なシステムダウンを想定し、緊急時に互いを助け合う援助協定を結んでいた。

京都新聞が紙面の制作を了承し、震災当日の夕刊を出すことになった。京都で神戸新聞の紙面を作るため、三津山は整理部長の首藤(嶋政宏)らと京都へ向かう。京都新聞社の全面協力を受け、なんとか1月17日の神戸新聞夕刊が発行された。たった4ページ。「無念の夕刊」だったが、休刊をしたことがないという誇りを神戸新聞は守り抜いた。

だが、神戸新聞に新たな試練が襲う。外からは原型をとどめている神戸新聞本社は「全壊判定」を受け、いつ崩れ落ちても不思議でない状態だった。全員撤去し、空きビルの一室を借りて、臨時編集局を開設することになった。

次々と試練が襲い、新聞を出す意味に迷いを見せ始める神戸新聞社員。父親を震災で失った一人の論説委員長の社説が彼らの気持ちを奮い立たせる…。

2010年1月、40代になった三津山が大震災当時を振り返る形式で、資料映像をまじえたドキュメンタリードラマをお届けする。

0.神戸新聞の7日間 TOP

(C)フジテレビジョン