遙かなる約束
-みどころ-

<久子と久美子> 1946〜1997年

一方の久子は1946年、乳飲み子を連れ、命からがら38度線を越え、何とか無事に日本に帰国を果たした。夫とは「必ず帰るから」との言葉を最後に別れたきり全く消息不明の状態が続いていたのだが、その後、鳥取県から発表されたソ連抑留者名簿の中に「蜂谷彌三郎」の名前を見つけ、そこで初めて夫が生きていることを知る。生き別れたあの悲劇から10年、久子39歳、久美子は11歳の時のことである。ところが、引き揚げ船を迎えに行っても彌三郎が降りてくることはなかった。しかし彼女は来る日も来る日も夫の帰りを信じ、待ち続けた。保健婦になって生計を立てながら娘を育て上げていった。10年も20年も、50年も女手一つで、誰とも結婚することなく。その間、彼女の元に再婚話が無いわけではなかった。体の弱い彌三郎のことである、37歳の時に一度生存の確認が取れたとはいえ、それ以降何の音沙汰もないのだ。どうなっていてもおかしくなかった。しかし彼女は諦めなかった。彌三郎の「必ず帰ります」その言葉を信じ待ち続けた。そして再婚の話がある度に、彼女はこう答えた「私にはまだ夫がいます」と。

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