Dのゲキジョー
〜運命のジャッジ〜

8/12放送:梅沢富美男が下した人生の決断

■下町の玉三郎になった日
昭和25年、剣劇スターの父と歌舞伎役者の母の間に生まれた梅沢富美男。幼い頃から、劇団一座を率いる両親と共に日本各地を巡る毎日を送っていた
そんな富美男が、1歳7カ月になったある日のこと…劇の休憩中に流す音楽に合わせて、舞台で踊り出したのだった。天才子役の誕生であった。そして一座の公演は富美男を中心とした演目へ切り替えられていった。
そして、昭和51年、26歳になった富美男に役者人生の転機が訪れた。座長である兄・武生が富美男に女形を勧めてきたのだった。その日以来、富美男は、女形の研究を始めた。
そして、女形として踏む初舞台で富美男は、客から惜しみない拍手喝采が送られた。
その後、評判が評判を呼び、演芸場は連日満員御礼。週刊誌でも話題となり、ついた愛称が「下町の玉三郎」だった。
華々しく女形のデビューを飾った富美男であったが、内面では男である自分が、女形を演じることに疑問を持っていた。そんな時、兄・武生が「女遊びして勉強しろ」とアドバイスをする。
元来、女には目がなかった富美男は、兄のアドバイスを受け、女遊びは加速度を増していった。全ては女形を極めるため…
そこで、
■下町の玉三郎への道女形を極める荒修行!
その1「動きを盗む」
その2「表情を盗む」
その3「色気を盗む」

■下町の玉三郎の妖艶な舞が完成した裏側には、スケベな富美男だからこそ行った荒修行の数々が隠されていた
「女遊びは芸の肥やし」の言葉を身をもって実践していた富美男。しかし中には決して思い出したくない苦い経験が数多くあるという。そこで、
■下町の玉三郎への道女形を極める荒修行!失敗編
その1「田舎の娘」
その2「絶対絶命」
その3「ワケありの美女」

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