#123 スタッフからのメッセージ

■1839年にエクス・アン・プロヴァンスで生まれたポール・セザンヌは、57歳の時、友人に宛てて、こんな手紙を書いていたそうです。「エクスにいた頃は、他の所の方が良いのではと思っていたが、現在ここにいて、エクスを離れていた事を後悔し…(中略)…ここで生まれたならば、全て良し、付け加えることなど何もないのだ」。
この手紙にある通り、セザンヌは、エクス・アン・プロヴァンスで生まれましたが、その後、自らの世界を広げるためパリに滞在。時々、エクスに戻りながらもフランスの各地を転々と回っていたようです。そして、手紙の言葉のように、我が故郷の良さに気づいたのが56歳の時。以後、番組で紹介した「サント・ヴィクトワール山」を何度も書くなど、この地での作品創作に没頭していったのだそうです。では、そんなセザンヌが大好きだったというエクス・アン・プロヴァンスの街は、どんな場所なのでしょうか?
街に入って一番に目に付くのが、ゴール広場にある大きな噴水です。実は、ここエクスの街には大小合わせると100以上の噴水があるそうで、一面苔に覆われた温水の出る泉や、17世紀の彫刻が施された噴水、あるいは、一見水道の蛇口から水が流れているだけにしか見えない小さな噴水など、確かに、あちこちで、噴水を見かけます。資料によると、ここは、紀元前の時代から湧き水が多い場所だったそうで、その名残りが今も噴水として残っているという事なのです。そして、一番大きな噴水のあるゴール広場からまっすぐに伸びているポプラ並木のメインストリートがミラボー通り。道沿いにはたくさんのカフェが建ち並び、その中の「カフェ・レ・ドゥ・ギャルソン」は、セザンヌの行きつけの店でした。どうせ、この街を歩くならセザンヌの縁の場所に行ってみたい。そう思う人は、歩きながら足元に注目して見ると良いでしょう。エクスの道を注意深く足元を見ながら歩いていると、「CEZANNE」という文字が書かれた鋲が埋め込まれていて、それが2~3m置きに並んでいます。これは、観光客などが街中に残るセザンヌ縁の地を道順良く見ることが出来るように埋められたもので、この鋲に沿ってブラリブラリと歩いていけば、彼の生家や行きつけのカフェ、母親のアパート、通った学校などなどに辿り着くというわけです。ゴール広場にある観光案内所には日本語のパンフレットも置かれているので、その資料を片手にエクス散歩でもすれば、貴方も俄かサザンヌ通になれること間違いありません。ただし、セザンヌが使っていたアトリエは、この街から、やや離れた場所にありますので御注意を。(歩いていけないことはありません)とにかく、この街は、観光客や学生などは一年中溢れているようです。道沿いのオープンカフェで一休みしながら歩いている人々を眺めていると、世界各国ありとあらゆる人種を見ることが出来ます。(勿論日本人も…)これだけ活気のある街、そして、すぐ傍に自然が残る街だからこそ、セザンヌがエクスに惹かれたのではないか…改めて振り返ってみると、そんな気がしてきました。
ちなみに、今回紹介した料理は、エクスが大好きなセザンヌが、この土地で食べたと思われるプロヴァンス料理をまとめた本「Le Gout de la Provence de Paul Cezanne(ポール・セザンヌのプロヴァンスの味)」の中から選んだものです。それを、エクスにあるレストランのシェフにお願いして再現して頂きました。

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