金賢姫を捕らえた男たち
- 事件について -

■事件の背景

1953年7月の朝鮮戦争停戦後、北朝鮮は、荒廃した自国の復興事業に力を入れていた。しかし1960年代に入ると、再び「対南工作」を活発化させ、時には直接の破壊工作を行うようになった。そうした中で北朝鮮によって拉致された韓国国民は、政府認定で500人近くにも上る。
当初は、拉致した韓国人を抱きこんで工作員として利用し、韓国に浸透させていたが、1970年代半ばに韓国内での摘発が相次ぐと、今度は外国人を拉致して対南工作に利用することを決めた。そして容姿が近く、韓国をはじめ世界各国への出入国に便利なパスポートを持つ国・日本が、ターゲットの1つとなった。
北朝鮮は、工作員が日本人の身分を手に入れて、その人物に成りすます目的や、工作員を日本人に仕立て上げるための教育係にする目的などのために、日本人を拉致した。

【日本政府が認定した拉致被害者】2007年7月現在
■1977年
9月:久米裕さん(52)
10月:松本京子さん(29)
11月:横田めぐみさん(13)
■1978年
6月:田口八重子さん(22)・田中実さん(28)
7月:地村保志さん(23)・浜本富貴恵さん(23)・蓮池薫さん(20)・奥土祐木子さん(22)
8月:市川修一さん(23)・増元るみ子さん(24)・曽我ひとみさん(19)・曽我ミヨシさん(46)
■1980年
5月:石岡亨さん(22)・松木薫さん(22)
6月:原敕晃さん(43)
■1983年
7月:有本恵子さん(23)

1970年代初頭までは北朝鮮が経済的に優位に立っていた。しかしその後、ベトナム戦争を背景として、韓国が「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる経済成長をとげ、北朝鮮に水をあける。そしてまた、1988年のソウルオリンピック開催を決めるなど国際的な地位も高めていった。そのソウルオリンピックに、中国とソ連が参加を表明するなど、北朝鮮が孤立を深めていたこの時期に、大韓航空機の爆破が計画された。

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