2022年2月27日(日)
高校3年生という時期は、初めて人生の岐路と真剣に向き合うことになる。
彼らは、ときに学校生活に悩み、ときに進路に悩み、高校生活最後の1年を過ごす。そこには、眩しい若者たちの人間模様が見えてくる。
グラジオラスの轍が、カメラを向けたのは公立高校の陸上部女子の3年生4人。
神奈川県川崎市立橘高校。2020年、高校駅伝日本一を決める戦い「都大路」に初出場した。陸上では無名の公立高校が、激戦区・神奈川県の予選を勝ち抜き、夢の全国の舞台を駆け抜けた。
代が替わった今年度、主力となる3年生たちは、2年連続の「都大路」出場を目指す。
橘高校は、寮があるわけでも、スポーツ推薦で強い選手が入部するわけでもない、ごく普通の公立高校の陸上部だ。
興味深いのは、これまで神奈川県内で2桁順位に定着していたが、ここ5年で急成長を遂げたこと。
一体なぜか。そこには、従来の高校部活動の常識を覆す練習スタイルにあった。
チームの最大の山場は、11月に行われる全国高校駅伝「都大路」出場を懸けた神奈川県予選。優勝校しか「都大路」の舞台に立つことができない。
そこへの歩みを見つめると、それぞれの葛藤があった。
キャプテンの苦悩、後輩とのメンバー争い、ケガに苦しみ思うように走れない…
そして、同時に近づく卒業後の進路への決断。
様々な思いが交錯して高校生活最後の1年を過ごす、
等身大の高3女子の青春を追った。
2021年7月17日(土)
白井健三が僅か24歳で引退した。会見で「スッキリしている。選手としての未練は一つもない」と、清々しいまでに語った健三。
僅か16歳で日本代表の座を射止め、日本体操史上初めて高校生(17歳)で世界選手権に出場、ゆかで金メダルを獲得。その後も毎年日本代表に名を連ね、世界体操で獲ったメダルは、金メダル5個、銀メダル3個、銅メダル3個。
2016年にはリオ五輪にも出場、団体金メダルに大いに貢献した。個人では種目別跳馬で銅メダルを獲得している。
市井の人はこう思っていただろう。
東京オリンピックでも白井健三は活躍してくれる、と。
しかし、健三はリオ五輪後こう語った。「僕の体操の寿命はそんなに長くない」と。
そしてその言葉が現実となるのは、そんな先の話ではなかった。
2019年、健三の体操はどん底にあった。足首のケガの影響もあり、4月に行われた全日本個人総合ではまさかの最下位の30位。つづくNHK杯では23位。
この年、日本代表の座も失う。
2019年を振り返って健三は「出来ない自分を受け入れてなかった」と語る。
じわじわと忍び寄る衰え、下り坂という現実。
それに抗う1年間は健三にとっていばらの月日だった。
昨年、健三はコロナ禍の影響で延期されたオリンピックについて「今年オリンピックがあったら絶対に僕は行かれてない」と語った。
そして続けて言葉を紡ぐ。「僕はすでにピークを過ぎた選手です」と。
今健三は自身が下り坂の選手であることを認め、それを分かったうえで、
東京オリンピックの選考会に挑もうとしている。最後の幕引きのために。
迎えた2021年。健三の東京オリンピック挑戦が始まった。
結論から言おう。健三の五輪出場は叶わなかった。
しかし健三は言う。「今できる、満足できる演技だった」と。
ひねり王子として名を巷に知らしめた16歳。
初々しくオリンピック出場は夢ですと語った17歳。
リオ五輪の興奮をはち切れんばかりに語った19歳。
友との別れを悲しんで涙した22歳。
体操・白井健三。完全独占密着3000日の記録、
引退までの苦悩と葛藤が明らかになる。
2021年2月13日(土)
冬の時代を抜け出す時、例えば日本サッカーにJリーグがあったように、
5年前、日本バスケにBリーグが開幕した。これが飛躍への“最初の一歩”。
渡邊雄太、八村塁という海外組の存在も追い風となり
2019年、日本代表は21年ぶりとなるワールドカップ自力出場と
44年ぶりとなる五輪出場権を手に入れた。
そして2019年9月。
踏みしめた“新たな一歩”は「ワールドカップ5戦全敗」という屈辱。
だが選手たちは口を揃えて言う、現在地を知る“大きな一歩”だったと。
この場所から日本バスケは、次にどんな一歩を踏み出すのか?
それが知りたくて、東京五輪が開催されるはずだった2020年、
2人のBリーガーへの取材が始まった。
篠山竜青と辻直人。代表の司令塔と、歴代屈指の3ポイントシューターだ。
2人は共にBリーグ、川崎ブレイブサンダースに所属。伝統ある強豪チームだが
Bリーグでの優勝はまだない。「川崎に悲願の優勝をもたらし東京五輪へ」
それが篠山と辻の青写真だった。
しかしこの1年、代表活動は停止し、Bリーグも中止。
さらに五輪の開催延期などコロナ禍に振り回された。
それでも2人はチームへの貢献を第一に、今できる事と向き合った。
いま32歳の篠山は忍び寄る年齢の壁にあらがうため、肉体の伸びしろを探し続けた。
1つ年下の辻は、怪我の影響から自身の生命線「シュート成功率」が落ちていたが、
人生初のシュートフォーム改造に着手した。2人の支えとなったのは妻や子ども、
何より自身の内にある「日本バスケの歴史の礎になる覚悟」だった。
そして開幕したコロナ禍のBリーグ、その先にある東京五輪。
彼らはどんな未来をつむぐのか?歴史は彼らをどう評価するのか?
2人のBリーガーの歩みから、日本バスケの“次の一歩”を探る。
2020年10月2日(金)
ここに一頭の馬がいる。メイショウマンボ。
2013年、オークス、秋華賞、エリザベス女王杯と言った
日本競馬界最高位に位置するGⅠレースを3勝し、巷を驚かせた馬だ。
この年の3歳・最優秀牝馬に選ばれた時は、多くの紙面にこの馬の名前が躍った。
しかし、この馬が注目されるのはその他を圧倒する走りだけではない。
血統が重視される競馬。レースに勝つ馬の血は次の代に引き継がれ、そして強い馬を生む。ディープインパクト、オルフェーヴル、キズナ、といった良血馬が競馬界を席巻する昨今、その中でメイショウマンボがGⅠレースを3勝した事は大きな意味と意義があった。
鹿毛の牝馬、メイショウマンボ。生まれは日高・浦河。
誰もが羨む血統で生まれた訳ではない。
世間から大きな期待と注目を浴びてデビューした訳でもない。
しかしその馬が破竹の勢いでGⅠレースに3勝もしたのである。
そこには幾たび打ちのめされても諦めない、馬にかける男達の汗と涙があった。
「良血馬だけが勝つのが、競馬ではない」
しかし、そう信じる男たちの想いとは裏腹に、エリザベス女王杯連覇のかかる
2014年、メイショウマンボは茨の道を歩んでいる。
未だ一勝も上げていないのである。
GⅠレース3勝と言う偉業を成し遂げた父から2014年、厩舎を継いだ飯田祐史調教師。
その元で労を惜しまず、全身全霊を傾けて世話をする塩見覚調教助手。
先代・飯田明弘元調教師との信頼と友情で生み育てた高昭牧場・上山泰憲社長。
そして何十年にも渡り男たちの想いをくみ取り、見守り続けてきた馬主、松本好雄氏。
幾千の想いと、幾万の汗とで育まれてきたメイショウマンボ。
男達の夢を乗せ、
果たして彼女はもう一度輝緑の芝を先頭で疾走する姿を見せてくれるのか。
エリザベス女王杯連覇へ。諦める事を知らない熱き男達の戦いがここにある。
2020年6月26日(金)
携帯禁止。化粧禁止。髪型はショートカットのみ。6時半の起床から始まり、1日10時間以上の過酷な訓練。
食事、入浴、テレビなど全て時間が決められ、夜10時には消灯となる。
伊豆の山奥に立つ「競輪学校」。
この場所で、18人の女子生徒たちが競輪のプロ選手を目指し、日々訓練に励んでいる。
訓練はおよそ1年。
卒業してプロになれば大金を稼げるかもしれない。オリンピックという夢も描ける。
だが、華やかな光の影には必ず濃い影がある。
宮城県出身の菅田賀子(当時28歳)は、震災をきっかけに、競輪の世界を目指すことに。父は世界選手権・銀メダリストの菅田順和。競輪を通じて変化する父と娘、それぞれの想いとは…
石井寛子(当時27歳)は日本代表としても活躍しており、ワールドカップで女子史上初の銀メダルを獲得。この期で一番期待の選手だが…。
猪頭香緒里。最年長の36歳(当時)。国内ランキング2位の実績を持つ、元プロスノーボード選手。
2011年結婚を機に引退するも、第二の人生を競輪にかける。
夫と離れ離れの生活を送りながら、夢に挑戦する夫婦の決断とは…
いまここに、「勝負の世界」を選んだ、彼女たちの想いがある。女性として、アスリートとして、何を選択しどう生きるか。
夢に向かう彼女たちを通じて、幸せのあり方、家族のあり方を描く。
「いま」この瞬間に賭ける彼女たちの決意と、卒業までの試練の200日を追った。
2020年6月20日(土)
今、まさに黄金期を迎えている日本バドミントン。特に奥原希望選手は「新たな歴史」を作っていると言っても過言ではない。
全英制覇、リオ五輪でのメダル獲得、世界選手権優勝など、日本の女子バドミントン界にとって次々と新たな扉を開き続けてきた。
世界のトッププレーヤーとして戦う大和撫子は、いったい何を考えバドミントンという競技を行っているのか。
そしてそこにはどんな戦略があり、どのような駆け引きがあるのか。
世界のトップに君臨する奥原希望。今、彼女の頭脳のすべてが露わとなる。
日本のバドミントン界を引っ張る第一人者、奥原希望選手、彼女は「バドミントンは、詰め将棋のようです。」こう話す。
詰め将棋とはいったい!?そこには四つのキーワードがあった!
① 狙いを封じる
② 時間を操る
③ 前衛を制する者、勝負を制する
④ 守りのスマッシュ
身長156センチの小柄な奥原選手が、リオ五輪銅メダル、そして世界選手権で女王にまで上り詰めたのは単に努力したから、だけが理由ではない。コート全体をカバーする粘りのラリーでゲームを展開し、一見すると守備一辺倒に見える奥原のプレーは、しかし、それは単なる守備ではなく「攻撃的守備」だと奥原は言う。
将棋の局面のように、王手の連続で相手の王将に詰めよる奥原のプレーの真骨頂の秘密を四つのキーワードを中心に今ここに赤裸々なものとする!
2020年5月3日(日・祝)
2013年、わずか17歳で世界体操・男子史上最年少で金メダルを獲得し、世界を驚愕させた白井健三。
「ひねり王子」とも称されて巷を賑わせた。
その白井が高校を卒業するまでの一年間を完全密着。誰も知らない白井の素顔を追った。
急激な成長を遂げた白井だが、その成長の影には共に戦った仲間の存在があった。
岸根高校体操競技部の同級生の三人。青春と呼ぶのは照れくさいが、かけがえのない日々。彼らの絆は、体操。同じ練習場で汗を流し、毎日競い合った三人。
一緒に歩いて、一緒に笑って、普通の毎日が本当に楽しいと感じられる日々。
しかし、卒業と言う名の別れの日は近づいてくる。
もうすぐ別々の道。だから勝ちたかった。最後の大会を笑顔で終えたかった。
将来の準備をする高校三年生。別れの準備をする高校最後の年。白井と友の熱い一年間に密着した。
2020年3月29日(日)
2020年五輪に向け、し烈な当落線上の闘いが繰り広げられる日本のお家芸「柔道」。
日本の威信がかかる最重量級にはいつも、悲喜こもごものドラマも繰り広げられてきた。ロス五輪山下の肉離れ、ソウル五輪の斉藤仁の号泣に始まり、シドニーの篠原の疑惑の判定、アテネ国内選考の鈴木桂治と親友・棟田の死闘…。
そのひとつが小川直也の敗北。
そんな父の無念を背負って五輪出場に賭けているのが息子の小川雄勢だ。父と同じ最重量級で五輪出場を目指してきた。しかし、そこには数々の大きな壁がそびえていた。
番組では、その父と子の五輪へ向けた闘いにおよそ2年に渡り密着取材。
これまでの日本柔道の物語を交えて、2020年本番を占う。