2026.10.10更新
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涙を流す紀子さん
<10月17日(土)26時15分~27時15分>
住み慣れた家を整理し処分する、家じまい。高齢化が進む一方で都会へと出ていく若者が増加し、家を継がないという選択が珍しくなくなった今、大きな社会問題の一つとなりつつあります。「大切だから家を残す」その選択の先にあるのは、終わりのない負担です。その負担を受け入れ家を残すのか、自らの手で大切な家を捨て去るのか。この正解のない選択に直面した家族たちを見つめ“家じまい”について考えます。
島根県浜田市にある一軒家に一人で暮らしていた、河内紀子さん(86)。2025年、自身の病をきっかけに一人息子の利幸さんが暮らす東京へと移り住むことになり、住み慣れた家を処分することを決めた。最愛の亡き夫が家族のために建ててくれた家。大切なわが子や、愛しい孫との思い出が刻まれたかけがえのない場所。許されるのであれば、最期までこの家で過ごしたかった。そんな本音を隠し、心にふたをして家じまいを決めたのはなぜなのか…。
家じまいを見つめる利幸さん
島根県で家じまいを事業として手掛ける齋藤さんに密着。取材を重ねる中で見えてきたのは、「大切だから家を残す」という選択に付随する終わりなき負担。維持管理のため、定期的に家に通う必要があるだけでなく、固定資産税や電気・水道などの基本料金の支払いなど、経済的な負担も無視できない。時間の経過とともに家が劣化すれば修繕費用の負担も加わる。一方で放置を選べば、倒壊の恐れもある“特定空き家”などに分類され、6倍の固定資産税などさらなる経済的な負担につながる。家とともにこの負担を子供やその孫たちに受け継がせることになるのだ。
涙を流す利幸さん
では、負の連鎖を避けようと“家じまい”を選べばどうなるのか。残念ながら待ち受けるのは、こちらもいばらの道。“家じまい”を決めたさまざまな家族は楽しいことは何一つなく、へきえきとするような現実の数々に直面し、自らの手で家に残された幸せの象徴ともいえる思い出の品々を処分する責任を負う。
家を片づけるたび見つかる、愛が形となったものたち。母の、夫の、子の…思いを感じるたびに、その手は止まる。家族の記憶を刻んだ唯一の場所。失えば二度とは戻らない、それでも捨ててよいのか。そんな問いに答えを出してくれる人もいない。“家じまい”は、残された家族の記憶を捨てる、無情な選択なのか。つらく重い道のりであるにも関わらず、なぜやめないのか。
“家じまい”に向き合う家族たちの姿を通じて、家を閉じる覚悟の裏にある思いを探る。
「“家じまい”という言葉自体、耳にすることは増えてきましたが、25歳の私にとってはどこか遠い出来事でした。そんな中、実際に“家じまい”を決めた家族たちへの取材を重ね見えきたのは、言葉で言うほど簡単ではない“家じまい”の現実と、帰る場所を自ら捨てるという選択の重みでした。家は、家族が生きてきた記憶を刻んでいる場所であり、どんな時でもただそこにあって温かく迎え入れてくれる、唯一の“帰る場所”です。大切だからこそ残すのか、家族を思うからこそ処分するのか。この選択は、どちらを選んでもかけがえのない何かを失うことになる、いわば正解のない選択です。しかし時間がたつほどに事態は緩やかに悪化し、取り返しがつかなくなるため、決断を先送りにすることもできません。親を、子を思うからこそ、覚悟を決め、道を選んだ家族たちの姿を通じて、今後社会問題として深刻化してゆく“家じまい”について考えるきっかけになれば幸いです」
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