2026.07.04更新
報道・情報
人間国宝 岐部笙芳さん(大分県九重町)
<7月11日(土) 26時20分~27時20分>
伝統工芸品「別府竹細工」が脈々と受け継がれ、竹の分野で最初の人間国宝を生んだ大分県。2024年、待望の2人目が認定された。竹工芸家・岐部笙芳(きべ・せいほう)さん。脱サラして竹の世界に飛び込んだのは37歳。歩み始めて35年目の快挙だった。細い竹ひごを使って、繊細かつ絵画的な作品を生み出す。人間国宝認定後は行事などが急増。1年間の集大成「日本伝統工芸展」への出品にも影響した。「楽をしても意味がない。自分が成長するためにつくる」。そう静かに話す岐部さんの姿を追った。
37歳。これまでと全く違う世界に足を踏み入れるには、戸惑いを感じる年齢ではないだろうか。竹工芸家の岐部笙芳さんは、そんな年齢で竹と出合い、生き方を変えた。
「このままの人生でいいのか」。大分県九重町のガソリンスタンドで働く岐部さんの心に、そんな焦燥感が生まれたのは30歳代半ば。中学校時代の恩師からかけられたのが「ものづくりはどうか」というアドバイスだった。別府市の竹工芸の職業訓練校に見学に行き、はっとした。進む未来が決まった出合いだった。
一歩を踏み出したものの、稼げないという現実に直面する。周りの反対を振り切って選んだ以上、前に進むしかなかった。「美術工芸品をつくりたい」という熱意も輝き続けた。竹で生活できると思えるようになるまで15年。さらに20年の時を経て、人間国宝に選ばれた。
いつも穏やかな岐部さんだが、時に信念を宿した表情を見せる。「挑戦しなければ意味がない」「ここだけはどうしても妥協できない。本当の土俵」「何とかもがいて考えることで、いい方法を思いつく。そうやって乗り越えてきた」。深みと重みのある言葉の数々は、岐部さんの人生を思わせる。
細い竹ひごを何種類もつくって編み、繊細な作品に仕上げる
細い竹ひごを多用した、繊細な表現が特長の作品にも注目してほしい。竹のしなやかさを生かした柔らかな曲線。皮膚のような透け感。色にもこだわり、美しい大分県の情景を作品に映してきた。日本の伝統家屋で使われ、自然にいぶされた煤竹(すすだけ)もデザインに取り入れる。職業訓練校で習ったことは基礎に過ぎず、さまざまな技を独学で磨いてきた。その価値をいち早く見いだしたのは、アメリカの竹工芸の専門家やコレクターたちだったという事実も、大きな示唆を与える。岐部さんの作品は約8割がアメリカにある。「日本の伝統工芸に対する理解は、海外の方が深い」。お客さんに喜ばれるものづくりを続けることも、岐部さんが制作を続ける意味の一つだ。
母校の九重町立淮園小学校でのワークショップ
ドキュメンタリーの縦軸として、公募展「日本伝統工芸展」に向けた作品作りを追った。認定で行事や仕事が急増し、制作にも影響した。同時に「淡々と制作してきたこれまでと同じでいいのか。作品作りが怖くなった」という気持ちも抱え始める。1年間の集大成と捉える公募展。さらに人間国宝認定後、初めて一から作る作品に気合も入る。
歩んできた竹の道は、生きてきた証し。作品作りへの情熱を静かに、確かに燃やす岐部さんの日々を見つめた。
「人間国宝認定のうれしい報道の中で、岐部さんの笑顔が心に残りました。やさしく目を細める岐部さんとはどんな方なのか取材してみたい。その思いが、番組制作のきっかけになりました。実際にお会いすると、気さくでジョークも言われるとても楽しい方で、人間国宝という少し近寄りがたいイメージが一瞬で吹き飛ばされました。取材を重ねると、岐部さんの苦悩も見えてきます。ものづくりの苦しみ、後進育成への使命感、人間国宝の重み・・・。それでも“挑戦しなければ意味がない”と潔く語る岐部さん。技術の高さは言うまでもないと考え、すてきなお人柄を多くの皆さんに知っていただきたいと思って制作しました。紡がれる言葉も印象的で、まさに人生訓。編集の際に語録を作ったほどです。ご覧になった皆さんの背中を押すエッセンスや、心に何かともるものが見つかるとうれしく思います」
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