2026.06.26更新
報道・情報
日本代表のエースとして練習する伊藤樹さん
<7月17日(金)27時5分~28時5分>
交通事故で脊髄を損傷し、車いすでの生活を余儀なくされた少年。そんな時、パラアイスホッケーと出合い「パラリンピックに出場する」という夢ができた。母も事故で足に大けがをしたが、車での送迎を欠かさなかった。
「怖いけど、やりたいというからやらせたい」
息子の夢は母の夢になった。少年が競技を始めた9歳から20歳になるまでの11年間に密着。日本代表のエースとして国を背負い、夢の舞台に出場するまでの成長の日々を描く。
パラアイスホッケー日本代表のエース、伊藤樹さん(20)。
8歳の時、母・紅子さんが運転する車でアイスホッケーの練習に向かう途中、交通事故に遭い脊髄を損傷。突然、下半身不随となった。
事故直後の樹さん(当時8歳)
「足じゃなくて、手だったらよかったのに」
事故の後、樹さんがこぼした言葉だ。大好きだったアイスホッケーが、もうできない。その現実を受け入れられず、「歩けないくせに」という同級生からの心ない言葉に、泣きながら下校したこともある。絶望の底にいた樹さんを救ったのが、パラアイスホッケーだった。
「パラアイスホッケーがなかったら今の俺はいない。ホッケーに救われた」
取材中、樹さんがこぼした言葉だ。パラリンピック出場という新たな夢が生まれ、そこからは、ひたすら夢に向かって練習に励んだ。
「ただ歩けなくなっただけ。できないことが一つ増えたけど、その分パラアイスホッケーができるようになった」
そう言い切る彼の姿からは、諦めず努力する強さと夢を持つ大切さが伝わってくる。
事故で重傷を負ったのは、母・紅子さんも同じだった。それでも樹さんの前では一切弱音を吐かず、常に明るく接しながら息子の夢を支え続けた。思春期を迎え、素っ気ない態度を取られても、その笑顔は変わらなかった。高校卒業後、樹さんは単身アメリカへ。異国の地で一人修行する道を選んだ理由はただ一つ。パラリンピック出場のためだ。そして出場権をかけたノルウェーでの最終予選。6カ国総当たりで上位2カ国のみが切符をつかめる中、日本は初戦の韓国戦に敗れ、後がなくなった。2試合目も終了間際までリードを許す苦しい展開。敗退が頭をよぎったその瞬間、チームに奇跡が起きる。
伊藤樹さん 20歳
試合の後、樹さんはつぶやいた。
「ホッケーの神様が、まだ俺らに“ホッケーしていい”って言ってくれた」
どん底から始まった人生の中で、彼は今、氷の上で確かな居場所を見つけている。本作は、夢に向かって突き進んだ11年間の軌跡を通じ、「失ったもの」ではなく「見つけたもの」に目を向ける一人のアスリートの姿を描く。
「“絶対にパラリンピックに出場する”
取材中に樹さんから何度もこの言葉を聞きました。ミラノのリンクで滑る樹さんの姿を見た時、自然と涙があふれました。横で母の紅子さんもカメラマンも泣いていました。自然と昔のことがよぎったのだと思います。これまで何度も悔しい思いをしてきたのを見てきました。でも諦めるという言葉は、樹さんから一度も聞いたことはありません。あのかわいかった少年が日本代表のエースに。樹さんが単身でアメリカに武者修行に行く際、母の紅子さんにこう言いました。
“これからは俺のためじゃなくて、自分のために時間を使って”
初めて取材した時9歳だった少年は、もう20歳の立派な大人になっていました。どんな逆境に陥っても諦めず、夢に向かって努力し続ける樹さんの姿に私自身も励まされてきました。この番組が、誰かの一歩を踏み出すきっかけになってもらえれば幸いです」
掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。