2025.09.23更新
報道・情報
樺島の遠景
<9月30日(火) 26時45分~27時45分>
風待ちでポルトガルの宣教師も立ち寄ったという長崎市南端に浮かぶ樺島。江戸時代から交通の要所として栄えてきた。漁業も盛んで多い時は4000人が暮らしたが、現在の人口は200世帯400人。過疎の島となってしまった。東シナ海に面する樺島は自然豊かでツルや、旅する蝶アサギマダラが飛来する。建造90年の美しい灯台もある。灯台公園の管理をしながら自然を満喫する69歳の清掃員にスポットを当てながら、漁師や住職、移住者、海外技能実習生など島で暮らす人々の楽しみや苦悩、3年間の記録。
五島灘や東シナ海に面する、長崎市の南端に浮かぶ樺島。16世紀ポルトガルの宣教師も、風待ちで寄港していたという歴史ある漁業の島。ポルトガル製の古い日本地図にもCabeximaと記載がある。最盛期は4000人が暮らしたが、今の人口は200世帯400人。高齢化、過疎化が進む。よりどころだった小学校も15年前に閉校した。島は自然に恵まれ、渡り鳥や珍しい蝶もやって来る。南端の高台には建造90年の樺島灯台があり、全国から多くの旅人が訪れる。展望が良い灯台の周辺は公園になっている。
長崎市の嘱託で公園を管理する人がいる。山崎繁人さん69歳。大阪などで会社員として働いていたが、20年ほど前、親を見るため帰郷し清掃員の仕事に就いた。1年のほとんどを灯台で過ごす。ツルの北帰行や、旅する蝶アサギマダラが島に立ち寄るのを毎年見て来た。灯台に来る旅人のために灯台ノートも作った。灯台は我が故郷で一番自慢できる観光地。来てくれた人たちに気持ちよく帰って欲しいと便器をピカピカに掃除する。番組は清掃員、山崎繁人さんの四季折々の活動を縦軸に島民の暮らしをスケッチしていく。
春の祭り
樺島の日常風景
樺島の夕日
子供に後継ぎとなることを勧めなかった、71歳のアジの一本釣り漁師。島に戻って漁師になった23歳の若者。役員のなり手や祭りの担い手がいないと嘆く自治会長。妻に先立たれ1人暮らしをする90歳の男性。ミャンマーから働きに来ている海外技能実習生の女性4人。大漁と航海安全を祈る民謡「樺島ハイヤ節」を踊り守る高齢者たち。島の近くで「きまま焙煎(ばいせん)場」というカフェを営む移住者夫婦。お盆に墓参りだけはと帰省してきた人々。島と寺は一心同体、島がつぶれたら寺も無くなると話す住職。本当はここで暮らしたいがいったんは出て行くと話す中学生たち。さまざまな人々の暮らし方をオムニバス的に追った。高齢者に不可欠な公共交通、バスの便は年々減っていく。伝統の祭りの担い手がいない。新鮮な魚は取れるが後継者がいない。人口と裏腹に増えるイノシシの害。どこの地方にも通じる問題が山積みしている。それでも住んでいる人達は今の暮らしが気に入っている。何かあったら隣近所が助けてくれる。近所づきあいも変わりなく続いている。好きなことをしながら気ままに暮らしていけるのが良いのだろう。東京など大都会は人が増えていくが、地方の暮らしはどうなの?もう少し地方にも目を配り、力を注いでほしい!全国の人が考えるきっかけにしてほしい、島の暮らし3年間の記録である。
「テレビのドキュメンタリーと言えば、誰かに密着し神髄を切り取りメッセージを伝えるというのが一般的であるが、今回の番組はそうではない。主人公は島全体である。島民の四季折々のさまざまな暮らし方と風景をオムニバス的につないだ。おのおのをパッチワークのように組み合わせて一つの作品にしてみた。まばらに出て来る人々の風景が、番組の最後につながっているという感じにした。見た人がそれに気づいてくれたらとてもうれしい。人が減り続ける島の暮らしは不便で暗雲漂う感じもしたが、何回も通うと、当人たちは至って元気で明るかった。好きなことをしながらおのおのが気ままに暮らしている所が良いと思った。時々、家に上がり込んで撮影をお願いしたものの、一人暮らしなのであまり歓迎されないこともあった。防犯上のこともあり心配したのだ。オムニバスでつづる今回のドキュメンタリー、見る人はどのように感じてくれるのだろうか?東京とはまったく違う過疎の島の物語に、視聴者は何を感じてくれるのだろう?反響が楽しみ。地方の過疎化と暮らし方、政治家など全国の多くの人に見てほしい」
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