2025.09.01更新
報道・情報
ブラインドサッカーの若きエースストライカー
中央)青いユニホームが太一さん
<9月8日(月) 26時55分~27時55分>
幼い頃、病気を患い両目の視力を失った長野県出身の平林太一さん(18)。小学1年の時に出会った視覚障害者のスポーツ「ブラインドサッカー」に夢中になり、日本代表の最年少エースへと上り詰めていく。家族や仲間の支えを受けながら、普通高校への進学や、パリパラリンピック出場という大きな目標に挑み続ける姿を10年に渡って追った。「夢への挑戦」そして太一さんが大切にする「共に生きる社会」への思いを描く。
長野県出身の平林太一さん(18)。2024年パリで開催されたパラリンピック、ブラインドサッカーにチーム最年少として出場した。6歳のころ、ブラインドサッカーと出会い、音の鳴るボールを使ってプレーする喜びや、仲間とつながる楽しさを知った。中学生になって地元のクラブチームに所属すると頭角を現し、2022年に日本代表選手に選出。その後、2023年世界選手権では、チーム最多の4ゴールを決め、パリ・パラへの切符獲得の原動力となった。
太一さんがブラインドサッカーに情熱を注ぐ理由の一つが、障害者も健常者も、ともに生きていける「共生社会」を広めたいとの思い。その原点は小学校時代に経験したあるエピソードだ。盲学校と小学校の交流の場で「目が見えない」ことに対して、同年代の子どもたちから心ない言葉をかけられたのだ。しかしその後「目が見えない」状況をともに体験することで子どもたちの反応が変わったことから、説明すれば周囲の理解が深まる、世界は分かり合える、太一さんはそう確信した。そこで太一さんは「共生社会」への思いを実現する一歩として、盲学校ではなく普通高校へ進学するという大きな挑戦を選んだ。
小学3年生の時の太一さん
高校卒業式
左から)太一さん 高校の友人
高校は、太一さんのために点字ブロック設置や支援教員の配置など、学ぶ環境に配慮。太一さん自身もまた、学校生活の中で、仲間と関わり合いながら授業や部活、文化祭を楽しんだり「障害」についての講演会を行ったりして、「誰もが自分らしく生きられる社会」とは何かを、みんなに理解してもらおうと積極的に活動した。
番組では、パラリンピック出場の夢に向かいながら、学校生活、友人、家族、恩師との関わりの中で成長していく、太一さんの姿を追うとともに、サッカーを通じて共生社会の実現につなげようとする活動を通して、多様性の時代に「共に生きる」とは何かを考える。
「私たちが平林太一さんと出会ったのは10年前。全盲の太一さんは無邪気に、私たちの顔を手の感覚で確かめてくれました。そこから始まった太一さんとの日々。ブラインドサッカーに夢中になる太一さんには、大きな夢がありました。それは、パラリンピック出場、そして「共生社会」の実現を図ること。そこで太一さんは普通科高校への進学という大きな挑戦を決断したのです。同時に、日本代表の若きエースになるという夢も見事に実現させます。その二つを両立する中で、太一さんは自身の中で“自分の世界”をしっかりと築いていたのです。幼い頃に経験したエピソードから“共に生きること”を広めようと活動する太一さんが、家族や仲間に支えられながら、ひたむきに生きる姿を描きました」
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