2024.10.21更新
報道・情報
ハモと中崎親子
<10月28日(月) 27時5分~28時5分>
「さかなの町」として栄えた宮崎県門川町。門川金鱧で町おこしを図るも“漁師の後継者不足”が深刻化していた。2023年、門川漁港に20年ぶりの新米漁師が誕生。中崎瑛斗、22歳。中学時代は、実の母が「殺そうか」と思うほど荒れていたが、一念発起し漁師の道へ。しかし漁で生計を立てることは簡単ではなく、信じ続けてくれた母と共に、ハモの6次産業化に乗り出すことになった。6次産業化という戦略で危機を脱した山口県萩市大島も取材。島の漁師そして改革を行った若き女性が提言する、漁師が生き残るための方法とは。漁業の未来を守るため私たちにできることは何なのか。
2023年6月。とある取材で漁港に行った時、若い男性が年輩の漁師たちに囲まれ指導を受けている姿を見た。何を話しているのか気になり声を掛けてみたところ・・・門川漁港に20年ぶりに誕生する新米漁師だという。宮崎県門川町は昔から「さかなの町」として栄え、中でも門川漁港は「門川だんじり」という漁師の祭りがあるほど漁師色が強い地域だ。そんな門川漁港も“漁師の後継者不足”という荒波の中にいたのだ。
中崎親子
左から)中崎瑛斗さん、中崎みどりさん
門川漁港と共に荒波の中さまよっていたのが新米漁師の中崎瑛斗だ。夢も希望もなかった中学時代。学校にも行かなくなり、夜中に家を抜け出し警察に連れられ帰ってくる日も多くなった。そんな生活の中、唯一興味を持ったのが“漁師”という仕事だった。高校へは行かず、1年間の寮生活となる漁業の専門学校へ進むと決めた。その決意に対して、唯一背中を押してくれたのが母だった。当時を振り返ると「殺そうか」と思うほど息子の成長に責任を感じていた母は「初めて将来のことを話してくれた。今はこの決意を信じるしかない」と感じ取ったという。
底引をするをする中崎瑛斗さん
漁業の専門学校卒業後、宮崎県内の漁船で修業を積み、2023年2月に帰郷。地元・門川町で憧れの漁師になった。番組では、初回のハモ漁から長期に渡って密着。漁取材を通して見えてきたのは、日本の漁業の現実だ。燃料代や漁業協同組合への手数料など差し引かれる金額を考えると、少なくとも3万円分の漁獲量がないと利益は出ない(※門川漁港の場合)。しかし、昨今問題視されている魚の減少や魚価の下落、そして勘と経験がものを言う漁業の世界。新米漁師が漁だけで生計を立てていくことは難しかった。
「門川のハモをもっと食べてもらいたい」という想(おも)いを胸に、新米漁師と母が取り組み始めたのは“ハモの6次産業化”だ。ハモで出汁を取った“ハモラーメン”を門川が一番熱くなる祭り・門川だんじりで販売すると決めた。店舗作りやレシピの考案、親子が力を合わせて作り上げたハモラーメンの売れ行きは?さらに、6次産業化という戦略で危機を脱した山口県萩市大島も取材。島の漁師そして改革を行った若き女性が提言する、漁師が生き残るための方法とは。
「魚がいなくなるのが先か、漁師がいなくなるのが先か。取材を行うまで、日本の漁を取り巻く現状を私は全く知らなかった。そもそもなぜ20年間も新人漁師が入らなかったのか。漁獲量の減少や魚価の下落。後継者不足を解決するためには、いくつもの壁が立ちはだかっている。
今回の主役は、小さな港町で生まれ育ち、今まさに大海原に乗り出した22歳の若者。応援してくれる母と共に、生計を立てるためハモの6次産業化にも取り組み始めた。その心の中には“故郷を盛り上げたい”という気持ちがある。数年前まで社会や家族に反発することしかできなかった青年が、漁師になって変わっていく。“覚悟”は人を変えるのだと改めて気づかされた。
魚食文化が根付いている日本にとって、漁業の衰退が大きな問題だということに気が付いている日本人はどのくらいいるだろうか。今、自分にできることは何なのかを考えてもらえる番組になることを願う」
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