2024.10.07更新
報道・情報
能登半島地震で崩れた窯
<10月14日(月) 26時40分~27時40分>
2024年1月1日に発生した能登半島地震。石川県最北端にある珠洲市は壊滅的な被害を受けた。珠洲市はこれまでも地震に翻弄(ほんろう)されてきた。そんな珠洲市で作られている焼き物「珠洲焼」の作家2人に密着。これまでの地震で大量の作品が割れ、窯は崩れた。2人の作家は窯を再建するも、再び起こった地震で振り出しに戻る。あらがえない自然の脅威に翻弄されながら、地震のある町で珠洲焼とどう向き合っていくのか。
能登半島の先端に位置する石川県珠洲市。珠洲の土と珠洲の窯で焼く焼き物がある。珠洲焼だ。
田端和樹夫(76)と篠原敬(64)は珠洲焼作家。それぞれの窯を構え、30年珠洲焼を作り続けた。そんな2人の作風は全く違う。同じ珠洲焼でも、田端の作品は黒灰色の珠洲焼に色を付け、数々の展覧会で入賞してきた。篠原は展覧会には出さず“自分の心が落ち着く作品”を作り、焼き物を通して生まれる人との出会いを大切にしている。そんな2人は、これまで何度も地震の被害にあった。2023年に起きた震度6強の揺れ。大量の作品が割れ、作品作りに欠かせない窯は使えなくなった。
作品を作る田端
2023年の地震後、窯を直す篠原
篠原は窯を全て崩して一から作り直した。田端は「廃業」も考えたが珠洲焼を続ける決断をした。町も少しずつ復興に向かいつつある、そんなときだった・・・。追い打ちをかけるように起きた2024年1月1日の能登半島地震。田端の工房は建物ごと倒壊。窯は天井から崩れた。5カ月かけて作った篠原の窯は、一度も火をいれることなく崩れた。地震に壊され、再生し、再び振り出しに戻されたのだ。
地震後。篠原は持ち前の明るさで精力的に取材に応え、展覧会を開いてファンに勇気づけられる。田端は資金繰りを心配しながらも、潰れた建物を重機で解体し、ほんの少しずつだが自分にできることをやっている。性格も目指す先も異なる2人だが、そこにあったのは、あらがえない自然の災いを受け入れて珠洲でしか作れない焼き物「珠洲焼」と向き合う覚悟だった。
「取材を始めたのは2022年6月、震度6弱の地震が珠洲市を襲ったとき。記者歴1年半、初の被災地取材。被災者は絶望しているのでは?その思いを伝えたいと現地に入った私は、珠洲焼作家の篠原さんの言葉に衝撃を受けました。割れた大量の作品、壊れた窯を前に“起きたことは受け入れるしかない”と答えたのです。勝手に被災者像を作り上げていたのでは?それで被災者に寄り添えるのか?反省させられた一言です。そこから珠洲でしか生み出せない珠洲焼に興味を持ち取材を開始。作家の田端さんとの出会いも印象的でした。飄々(ひょうひょう)としているのに芯は強い。それぞれのスタイルで道を貫く2人が魅力的でした。珠洲はまだ復旧も道半ば、これは復興物語ではありません。地震があった町で暮らしていくため、進まざるを得ないから進む。珠洲焼を人生の一部にしている2人から、暑苦しい情熱ではないけれど、胸の中にこっそり秘めた珠洲焼への思いを感じてほしいです」
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