2024.09.22更新
報道・情報
豆腐を作る齊藤親子
左から)齊藤勇旗さん、齊藤寛明さん
<9月29日(日) 26時50分~27時50分>
富山県小矢部市の豆腐屋、斉藤商店。代表の齊藤寛明さん(76)は約40年の間、重い知的障害がある息子の勇旗さん(47)と豆腐作りを続けてきた。自宅の隣にある工場は、ずっと働ける場所をつくろうと勇旗さんのために用意したものだ。数字や文字、あいさつ、そして豆腐作り。時間をかけて繰り返し教えてきた。1人でできることは増えたが、自立した生活を送ることはおそらくできない。避けられない別れの後、我が子はどうなるのか。親亡き後の不安を抱えた「老障家庭」の日常を見つめた。
散居村の、のどかな景色が広がる富山県小矢部市に店を構える豆腐屋「斉藤商店おやべ」。豆腐を作る勇旗さん(47)には、重度の知的障害と自閉症がある。寛明さん(76)は、息子の豆腐作りをずっとそばで見守ってきた。勇旗さんに障害があるとわかったのは2歳の頃。寛明さんは、13年勤めた東京の会社を辞め、文字や数字、あいさつを時間が許す限り、繰り返し教えた。こうして、1年遅れて小矢部市の小学校に通わせたが、周囲から心無い言葉をかけられることもあった。当時は今以上に障害に対して強い偏見がある時代だった。
実家の豆腐屋を手伝うようになっていた寛明さんだったが、配達の帰りに毎日勇旗さんを連れて工場に立ち寄ったことが転機となった。勇旗さんにできる作業が次々に見つかったのだった。この時、寛明さんの中に豆腐の工場をつくるという夢ができた。こうして、勇旗さんが中学生の時に建てたのが今の工場である。単純作業を繰り返す豆腐作りは、勇旗さんにとって相性のいいものだった。絹豆腐をおたまですくって丸く仕上げる昔ながらの豆腐には「ゆうき君」という名前をつけた。勇旗さんがずっとこの工場で働けるように、そんな願いが込められている。
茶碗とうふ「ゆうき君」
豆乳をしぼる勇旗さん
勇旗さんの行動は分刻みで決まっており、順序通りに仕事をこなしていく。しかし、ひとたび想定外のことがあると、パニックを起こしてしまう。親といえども息子の感情は理解しきれない。そんな齊藤家に危機が訪れる。勇旗さんが足を滑らせて骨折した際、母の明美さん(69)に介護と豆腐作りの負担がのしかかり、過労で倒れてしまったのだった。果たして、避けられない別れ、死別の後、我が子はどうなるのか。老いた親が障害のある子どもを介護する「老障家庭」が抱える問題である。
揚げ物の調理
左から)勇旗さん、母・明美さん
一緒に豆腐を作って40年。時間が許す限り繰り返した豆腐作りは日に日に上達してきた。1年に1つできるようになれば上出来、それが齊藤家の教えである。ただ、勇旗さんは自立した生活を送ることはおそらくできない。残される我が子のために何ができるのか。そんな思いを抱えたまま、きょうも豆腐を作る親子の日常を見つめた。
「障害がある子どもにとって、どのような暮らしが一番幸せなのか。簡単に答えを出せる問いではないと思います。親亡き後を見据え、親が元気なうちから離れて暮らすのがよいのか。1秒でも長く一緒に過ごし、愛情を注ぐのがよいのか。いずれにしても、不安は拭いきれないものだと思います。番組で取材した齊藤寛明さんは、息子のために豆腐の工場を建て、親子でともに生きる道を選びました。この選択に寛明さんは“後悔はない”と話されています。その言葉の中に、勇旗さんとこの地域で生きていくという覚悟を強く感じました。この社会に“老障家庭”があることを知ること。そしてその人たちと、ともにある社会をつくっていく必要があると切に感じました。」
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