2024.09.13更新
報道・情報
大堀相馬焼の窯元・近藤学さん
<9月20日(金) 26時25分~27時20分>
300年以上の歴史を誇る福島県浪江町の「大堀相馬焼」。産地・浪江町大堀地区は東京電力福島第一原子力発電所の事故で避難指示が出され、約20の窯元は県内外に避難を余儀なくされた。それぞれが再建の道を探る中、2023年に大堀地区は窯元の敷地に限り避難指示が解除された。避難先で新たな工房を構えた窯元たちは大堀地区に戻るかどうか複雑な思いを抱えていた。産地を離れた伝統は「大堀相馬焼」と呼べるのだろうか―。一人の窯元は大堀地区に戻ることを決断する。
国の伝統工芸品に指定される福島県浪江町の「大堀相馬焼」。
窯出しの時にひびが入り、そのとき、繊細で美しい音が鳴る―。
あの日から、窯元たちが伝統を守り続けてきた里にその音が響くことはなかった。
原発事故で避難を余儀なくされた窯元の工房
解体工事現場に放置された大堀相馬焼
東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で帰還困難区域となった浪江町大堀地区では約20の窯元が避難を余儀なくされた。原発事故から10年以上を経て、2023年に解除された避難指示。それは地区全体で居住が可能になる“面”的な解除とは異なり、大堀地区では大堀相馬焼の窯元の敷地だけが対象の “点”の解除だった。窯元の敷地以外は帰還困難区域が広がる。産地を離れた伝統は「大堀相馬焼」と呼べるのだろうか―。
大堀相馬焼の窯元で陶吉郎窯9代目の近藤学は避難先のいわき市で新工房を立ち上げたが、大堀地区で伝統を継承しなければ途絶えてしまうと考え、故郷に戻ることを決断した。「先陣を切って帰るわけだから失敗できない」。近藤学は、除染を担当する環境省との打ち合わせで語気を強めた。たった一人、故郷に戻るために奔走する近藤。一方でほかの窯元は「戻りたいけど戻れない」、「戻ることは諦めた」、「戻る場所ではない」と葛藤する。
登り窯の炎
国や町、そして窯元たち、それぞれの立場でそれぞれの復興の姿を描く。メディアが「復興」「帰還」とニュースで取り上げる裏側には、簡単ではない道のりがある。2011年の原発事故から14年目、福島県浪江町大堀地区の現在地を追った。東日本大震災と原発事故は当事者以外にとって、すでに過去のことなのだろうか?
「13年ぶりの帰還を目指す大堀相馬焼の窯元・近藤学さん。初めて出会ったのは休日のストレートニュース取材で伺った地鎮祭でした。“帰還困難区域に帰るようなものだから”こう話した近藤さんの言葉の意味を、私は恥ずかしながら瞬時に理解できていませんでした。避難指示の解除は除染をしたうえで、地区ごとに解除されていると認識していましたが、大堀地区は窯元の敷地だけ。近隣の住宅にはバリケードが残る帰還困難区域でした。他人事だった自分の無知を恥じるとともに、ここに戻って商売をする?正直無謀に思えましたが、近藤さんの目には力強さがありました。伝統の火と原発、被災者と国、福島と東京、取材対象者とメディア、当事者とそれ以外―。福島の復興、その姿に絶対的な答えがないように、見終わった後、いろいろな受け止めがあるような番組を作ろうと思いました」
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