『20年目の花火』

2023.09.23更新

報道・情報

第32回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品(制作:KTS鹿児島テレビ)

夜空を彩る花火

『20年目の花火』

<10月13日(金)27時10分~28時10分>

花火事故から20年、その先に見えたもの

今から20年前の2003年春、鹿児島市の花火工場で大規模な事故が起きた。
従業員10人が死亡。リーダーだった中河隆則さん(当時40歳)は実弟とかけがえのない仲間を失った。事故前、鹿児島テレビのカメラが花火一家の中河さんたちを映し出していた。
そして、20年。再びカメラが現場に向かった。思いに触れる。癒えることのないあの日の記憶。心に傷を抱えた花火師は、過去を背負いながらも懸命に前を向いていた。

心に傷を抱える花火師とそれを取材し続けるテレビマンの20年の物語

鹿児島市街地から10キロほど離れた山の中に花火工場がある。創業55年になる南国花火製造所だ。2003年、この場所で爆発事故が起きた。花火師10人が死亡、建物被害129棟、戦後最悪と言われた事故だった。関係者は一切、口を閉ざしたままだった。

鹿児島テレビの71歳のディレクターは事故前からこの花火工場を取材していた。花火作りにかける職人の姿に魅了され記録し続けていたが、事故後は事の重大さに取材をためらっていた。退職を前に、再び現場に行くことを決意した。

久しぶりに会った社長の中河隆則さん(59)は白髪頭になっていた。当時現場を取り仕切っていたリーダーに、自信にあふれていた昔の面影はなかった。中河さんは語り始めた。沖縄出張で事故を免れたこと、失った仲間や弟のこと、事故が起きてしまったことへの罪の意識…、これまで知ることのなかったあの日が見えてくる。
亡くなった10人のうち、1人の遺族が取材に応じてくれた。初めて胸の内を語る。自慢の息子を亡くした父親だった。妻は花火師になることに反対だったが、人が喜ぶ仕事だからと、息子の背中を推していた。「私に孫はいないんです」涙をこらえながら話す父親はこの20年、それでも生きてきた。

事故から数年たち、中河さんは花火の世界に戻った。花火を使った小さな祭りやイベントに走り回る。新型コロナウイルスで苦しむ小さな島にも向かった。現場では「ありがとう」の声が響き渡る。そして、還暦を迎えた中河さんは鹿児島で新たに「花火」と「音楽」を融合した大規模な花火大会に挑むことになった。今回は裏方として支える。全国から花火師仲間が力を貸そうと集まった。鹿児島の象徴、桜島をバックに1万4000発の花火が打ち上がる。
夜空を彩る大輪の華を見上げて笑顔を見せる人々、それをうれしそうに見る中河さん。万感の思いが胸をよぎる。

「正しかったのか分からないけど、あれから花火を続けてきました」
20年たったからこそ、見えるものがある。事故に翻弄(ほんろう)された関係者たちは悲しみを背負いながらも、懸命に今を生きていた。

創業55年、南国花火製造所社長・中河隆則さん

2003年の爆発事故で亡くなった方々の慰霊碑

ディレクター・徳留孝一(鹿児島テレビ 制作部)コメント

「テレビ局入って48年。そのほとんどを番組の制作現場で過ごしてきました。いろいろな現場に足を運び、撮影し、番組にしてきました。忘れられない現場がありました。それが今回の花火工場です。武骨に作り続ける花火師の姿にひかれ、通い続けていた場所でした。しかし、2003年に爆発事故を起こし、10人が亡くなりました。あまりの事実の大きさに足を運ぶことができなくなりました。今年、退職を迎えるにあたり、もう一度この現場に向き合うことを決めました。花火に夢を託したリーダーは還暦で白髪頭、それでも花火を打ち上げていました。遺族の1人は涙を浮かべながら、初めて取材に応じてくれました。みんな悲しみを背負いながら、生きていました。
“20年たってこそ、見える景色がある”。このドキュメンタリーが事故の関係者の方々の未来に、そして次の時代を担う制作者たちのこれからにつながることを願っています」

事故から20年目の花火

花火を見上げる中河隆則さん

【番組概要】

第32回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『20年目の花火』(制作:KTS鹿児島テレビ)
≪放送日時≫
<10月13日(金) 27時10分~28時10分>
≪スタッフ≫
語り:寺尾聰

プロデューサー:四元良隆
ディレクター:徳留孝一
撮影:濵田和義、鈴木哉雄、西村智仁
編集:赤井修二
音響効果:渡辺真衣
MA:濱田 豊、出水菜々
構成:岩井田洋光
制作著作:鹿児島テレビ

掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。