2022.06.24更新
その他
キャッサバを収穫する滝浪実セルジオさん
7月1日(金) 26時55分~27時55分
東京オリ・パラ大会などを機に時代を表す言葉となった「多様性」。日本でも外国人との「多文化共生」が求められている。神話の里として知られる島根県出雲市も、日系ブラジル人を中心に県内で最も多くの外国人が暮らす。そこで日々ブラジル人の相談に応じる「なんでも屋」のような男性がいると聞いて取材を始めた。
滝浪実セルジオさん(67)。祖父母と両親が日本人で、ブラジル国籍をもつ日系ブラジル人だ。彼は皆から「パイゾン」(ポルトガル語で「大きなお父さん」の意味)と呼ばれ慕われている。レストランを経営する傍ら、3年前から始めたのがキャッサバなどのブラジル定番野菜の栽培。さらに異国での生活に悩むブラジル人を手助けし農業を通じた自立を手助けしている。
収穫したブラジルの定番野菜「キャッサバ」
畑で作業する日系ブラジル人の仲間たち
左から2人) 畑で一緒に作業する日系ブラジル人 右)滝浪実セルジオさん
「稼げる農業」にするには、日本人に食べてもらうことが必要だとして、協力を得た地元市民とカレーとキャッサバを組み合わせたメニューを開発。実はブラジル人はカレーをあまり食べないが、どん欲に「冒険的なメニュー」に挑むなど「開拓精神」を発揮している。
キャッサバ入りのカレーライスと皮をむいたキャッサバ(コラージュ)
Web掲載可
一方、セルジオさんの半生は山あり谷あり。豊かな暮らしを求めて来日、貯めたお金でレストランを経営したもののリーマンショックの煽りを受け閉店。移動販売車で再出発し、希望を抱き移住した出雲でも偏見などに遭いながらなんとか農業を始めるための土地を取得。自身そして仲間のために身を粉にして働き、時には心筋梗塞で倒れ命を落としかねない危機に直面した事も。それでも彼は助けることをやめない。かつて日本からブラジルに渡り、現地を開拓した祖父の教え「働かなきゃ幸せは来ない」を胸に刻み歩み続けている。
ブラジルに渡った日本人移民は未開の地を開拓し農業で成功を収めた。いまや当たり前のように食べられているトマトやキャベツなどの野菜は、日本人が品種改良をして現地に根付かせたもの。開拓移民の孫であるセルジオさんが挑んでいることはまさにその逆だ。キャッサバを日本の食卓で当たり前の食材にしたいという思いがある。それは仲間の日系ブラジル人を救うことにも繋がるという。彼の姿に協力する日本人も増え順調に活動は進んでいく。しかし新型コロナ禍が襲いレストランは開店休業状態に、再び店を失うかもしれないという不安も頭をよぎる。次々に試練に見舞われる中、キャッサバによるニッポン食卓開拓の行方は?ブラジルから来た開拓移民の孫の姿を通じ、令和の時代の「多様性」や「多文化共生」の現実を見つめる。
キャッサバの苗を子どもと植える
左から) 滝浪実セルジオさん、日本人の女の子、女の子の保護者
「“みんなで生きていくことを考えなきゃこれからの時代はやっていけない”そう話すセルジオさんに何度も聞きました、なぜみんなのためなのか?と。多様な民族がいて日系人に対する偏見の目もあったという当時のブラジル。彼は7人兄弟の長男として家族を支え、みんなで生き抜く大切さを身に染みて感じながら育ってきたことが、今にも通じているのだといいます。 かつてリーマンショックで店を失い、心筋梗塞によって直面した命の危機も乗り越えた彼はいつも快活。まずは行動あるのみ、ただ掲げる野望が大きいだけに失敗も多くあります。そんな人間味のある彼を見ていると、どこか放っておけない、手助けしたいという気持ちが湧いてきます。そのため、彼のもとには国籍問わず様々な人が集まります。 みんなのために、そしてみんなに支えられ生きている彼のまわりには“多文化共生”の萌芽があるのではないかと思います」
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