『“日本一小さい営業マン”ぼくにはできる』

2022.06.03更新

その他

第31回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品(制作:テレビ西日本)

父親の会社で営業マンとして働く
山﨑海斗さん

『“日本一小さい営業マン”ぼくにはできる』

6月10日(金) 26時55分~27時55分

身長139センチ 独り立ちを目指す23歳

福岡市の山﨑海斗さん(23)は身長139センチ。小学4年生の平均身長とほぼ変わらない。先天性多発性関節拘縮症という、全身の関節が固まって動かしにくくなる難病のため、手足の関節が曲がった状態でこの世に生を受けた。成長するとともに背骨が曲がってしまう側わん症を併発し、医師からは「自力で歩くことは困難だろう」と診断された。しかし、「ひとりで歩きたい」という強い気持ちと、優しくも厳しい両親の支えで、12回の手術と辛(つら)いリハビリに耐えた。中学から高校にかけて背中にボルトを埋め込んで曲がった背骨を矯正し、つえや装具に頼らずにひとりで歩けるようになった。

中学時代の写真
左から)学校関係者、山﨑海斗さん、同級生

自立とは?働くとは?生きるとは?障害は個性!モットーは“明るく楽しくポジティブに”

人とは違う体が好奇の目にさらされ、中学時代にはいじめにあった。しかし、その後進んだ定時制・通信制の高校が、生き方を前向きに変える大きな転機に。ホストやシングルマザーなど様々な境遇の同級生と学んだ4年間。「海斗も変わってるけど、俺も変わってるし、みんな違うからよくね?」、この言葉をきっかけに「障害は個性。みんな違ってみんないい」と心から思えるようになった。トップセールスマンだった父親に憧れた山﨑さんは、高校卒業後、電話セールスの仕事に就いて話術を磨き営業成績トップとなる。去年1月からは、父親が興したオフィス機器の販売会社で営業マンとして働いている。

パラバドミントンの練習中
山﨑海斗さん

「障害者だからできない、は好きじゃない」という山﨑さんは、自ら車を運転して出勤し、外回り営業もこなす。名刺に添えたキャッチコピーは「日本一小さい営業マン」。小さな体を武器に自らを売り込もうと考案した。重い物の持ち運びなど、どうしてもできないことはあるが、先輩社員のサポートを得ながら一人前の営業マンを目指している。仕事のほかに打ち込んでいるのが高校時代に始めたパラバドミントン。当初は握力が足りず振ったラケットが飛んで行ってしまうほどだったが、今ではスマッシュも打てるようになった。障害は無いに越したことはないが不自由な体が治るわけではない。ならば「障害は個性」ととらえ自分にしかできないことをするのが使命だと考えて、セールストークで磨いた話術を生かしYouTubeによる情報発信も始めた。過去にあったいじめのことや日常生活の中で感じたことなど、障害者がより活躍できる社会を目指して声をあげている。そんな前向きさが共感を呼び、自治体の広報誌に大きく取り上げられた。さらにそれを目にした小学校の関係者から、生まれて初めての講演依頼が舞い込む。自立とは?働くとは?生きるとは?日本一小さい営業マンの23年の歩みを通して考える。

ディレクター・花村枝里(テレビ西日本 報道部)コメント

「“難病がありながらも、とても前向きな青年がいるが取材してみないか?”そんな上司の一言から、去年3月、私は初めて山﨑海斗さんに会いました。背骨が曲がりながらも自分の足で歩き、3本の指だけでタイピングをこなす…私はただ驚くばかりでした。 取材をしていくにつれ、海斗さんがリハビリや手術に耐え、いじめにも負けずに前向きに生きることができたのは、周囲の支えはもちろん、“ぼくにはできる”という強い思いがあったからこそだと感じました。海斗さんの生き方は、“自分には無理”“できない”と考えてしまいがちな私にとって雷に打たれたような衝撃で、忘れかけていた挑戦する心を取り戻させてくれました。今回の制作に当たり“私にできるのか”という不安を捨てて挑戦できたのは、海斗さんのおかげです。海斗さんのひたむきな姿が、番組を見ていただいた方の新たな一歩につながれば幸いです」

【番組概要】

第31回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『“日本一小さい営業マン”ぼくにはできる 』(制作:テレビ西日本)
≪放送日時≫
6月10日(金) 26時55分~27時55分
≪スタッフ≫
プロデューサー:富﨑靖啓
ディレクター・構成・取材ナレーション:花村枝里
撮影:梅丸 聡(VSQ)、佐藤俊一郎(VSQ)、石橋良一(メティスプロジェクト) CG:東筑印刷
編集:利光英樹(VSQ)
音効果・MA:太田雅二(ミュージックリザーブ)
制作著作:テレビ西日本

掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。