2020.09.30更新
その他
アフガンで信念が継承された象徴「赤ちゃんナカムラ」
10月7日(水)26時25分~27時20分
2019年、アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師。
医師でありながら白衣ではなく、作業着を着て、鋭いメスではなくショベルカーを扱い、日本から遙か6300キロ離れたアフガンの乾燥した大地に水と緑をもたらした。
難民支援にも全力を注いだ現地での愛称は「カカ・ムラド」(中村のおじさん)。
自己を犠牲にしてまで、彼を突き動かした信念とは一体何なのか?
医師として信念を貫く中村哲
2019年12月4日、アフガニスタンで銃撃されて死亡した中村哲医師。現地での医療活動や用水路建設などの人道支援に汗を流す中、突然の訃報だった。
中村医師は、幼少期を福岡県北九州市で過ごした。テレビ西日本の北九州支局で勤務している私も非常に大きな衝撃を受けた。
徹底した「現場主義」そして「利他の精神」。医師でありながら白衣ではなく、作業着に身を包み、晩年は、鋭いメスではなく、大きなショベルカーを扱うことの方が多かった。そして日本からはるか6300キロのアフガンの乾燥した大地に水と緑をもたらした。
武力によらない平和の実現を目指し、難民支援にも全力を注いだ彼の現地での愛称は「カカ・ムラド」 中村のおじさん。親しみを込めてそう呼ばれていた。
アフガニスタンの復興に生涯を捧げた「自己犠牲」の生涯。
彼を突き動かしたその信念とは一体何だったのか?
そして、中村哲医師がアフガニスタンと日本に遺したものとは、何なのか―。
テレビ西日本の秘蔵映像とアフガニスタンの最新の現地映像を含めて、中村哲医師の人生に迫る。
カカ・ムラドと慕われた重機を操る絵本版・中村哲
「私が中村哲医師について詳しく知ったのは、恥ずかしながら亡くなった後のことです。私が勤務する北九州にゆかりがあること、中村医師が成し遂げた偉業など、日々ニュース取材をする中で少しずつ分かってきました。そして、後悔しました。“生きているうちに一度でもお会いして、直接お話したかった”と。医者でありながらサンダルを作り、井戸を掘り、用水路をひらいた中村医師の人生。それは決して奇をてらった訳ではありません。多くの関係者から話を聞く中で、中村医師の考える“医療”とは何なのか、中村医師が大切に受け継いできた“信念”が浮き彫りになってきました。そして一つ安心したことがあります。そんな中村医師の信念は日本、そして遠く離れたアフガニスタンの地に確実に根付いているということです。番組を通して、現地で“カカ・ムラド”、中村おじさんと親しまれた粋なオトコの生涯を味わっていただければと思います」
掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。