2020.06.17更新
その他
日赤の看護師とポーランド孤児(提供:松本照男氏)
6月24日(水)26時50分~27時45分
ロシア革命の混乱期のシベリアに、親を亡くしたポーランドの孤児たちが取り残されていた。国際社会で手を差し伸べたのは日本のみ。救出された763人の孤児たちは福井県の敦賀港から入国、日本人の温かいもてなしと献身的な看護を受け祖国へと旅立つ。この史実を、数々の資料や日本初公開の貴重な証言をもとに丹念に描く…。
グローバル化と自国優先主義の狭間にある私たち現代日本人に、何を語りかけているのかをひもとく。
1940年、外交官・杉原千畝が発給した「命のビザ」を握りしめ、約6000人のユダヤ難民が福井県敦賀港にたどり着いた。その上陸からさかのぼること20年、敦賀で撮影されたポーランドの子供たちの写真がある。そこには「もう一つの人道物語」があった。
敦賀で撮影されたポーランド孤児(提供:敦賀市)
第一次世界大戦後とロシア革命の混乱期のシベリアに、戦争で親を亡くしたポーランドの孤児たちが取り残されていた。救出に向け、国際社会の中で手を差し伸べたのは日本のみだった。救出された763人の孤児たちは福井県の敦賀港から入国、日本人の温かいもてなしと感染症の治療や献身的な看護を受け祖国へと旅立つ。しかし、その後も時代の激流に翻弄され数奇な運命をたどる孤児たち、その胸中にあったものは…。
ポーランド孤児の幼少期の写真
左から)アントニーナ・リロさん、バツワフ・ダニレビッチさん、ハリーナ・ノビツカさん
孤児たちはすでにこの世になく、100年前の出来事を探る取材は難航。6年の歳月をかけ資料を探し求め、孤児たちの証言映像も入手する。番組では貴重な資料や日本初公開の孤児の証言映像をもとに、絶望の中、奇跡ともいえる救出劇を丹念に描いていく。
救出から100年が経ちポーランドと日本で、この史実は次世代にどう語り継がれようとしているのか。
「やさしさ」「人のためにつくす」とは。
そして、日本、ロシア、ポーランドの取材を通して、グローバル化と自国優先主義の狭間にある私たち現代日本人に何を語りかけているのかをひもとく。
「1940年、外交官・杉原千畝が発給した“命のビザ”を握りしめ、約6000人のユダヤ難民が福井県敦賀港にたどり着きました。その上陸からさかのぼること20年、敦賀で撮影されたポーランドの子供たちの写真があることを知りました。そこには“もう一つの人道物語”がありました。
私たちがポーランド孤児のことを知ったのは6年前。なぜ、孤児たちは極寒のシベリアに取り残されていたのか、どうして日本は孤児たちを救出したのか、そして、100年前の日本人たちは彼らにどのように接したのでしょうか。この救出劇が忘れられたように、そこには、日本人が忘れている何かがあるのではないでしょうか。史実を詳しく取材・放送して未来に伝えていきたいと思います」
掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。