FNSドキュメンタリー大賞

FNSドキュメンタリー大賞

2018.7.30更新

息子を亡くした母たちから子供たちの世代へ

第27回FNSドキュメンタリー大賞 ノミネート作品
閖上リレー ~変わりゆく景色の中で~

8月8日(水)26時50分~27時45分

東日本大震災の津波で、約750人が犠牲となった宮城県名取市閖上地区。復興工事が進み、街は変わり続けています。7年前、当時中学生だった息子を亡くした母親たちは、あの日のこと、命の大切さを全国の人に語り伝える活動を続けています。その姿を見て、自分も「あの日のことを語りたい」と思うようになった青年がいました。当時中学3年生。「閖上が大好きだった」から「閖上を伝えたい」と思いながら、「家族も無事で自宅も壊れなかった自分が話して良いのか」と、語ることにためらいを感じていました。震災から7年。地元で起こった事を語り続けてきた人々は、後進にどうつないでいくかを考え始めています。この青年が受け継ぐ一人になるのでしょうか。青年は古里を語ることができるのでしょうか。子どもを亡くした親、子ども達と同世代の青年の三人を追いました。

震災から7年。被災地を語り継ぐ…。

宮城県名取市閖上地区。2011年3月の津波で約750人が犠牲となり、今なお38人が行方不明となっています。当時閖上中学校1年だった長男・公太くん(当時13)を失った丹野祐子さんは、「子供が生きた証を残したい」と慰霊碑を建て、慰霊碑の社務所兼語り部施設「閖上の記憶」を拠点にあの日起きたこと、命の大切さを語り継いでいます。当時中学校2年生の次男・駿くん(当時14)を亡くした大川ゆかりさんも丹野さんの誘いを受け、4年前から語り部として活動を始めました。大川さんは命の大切さを伝えるために語りたいと感じるようになった。そんな母親世代の姿を見て、あの日の出来事を話すことを意識してきた若者がいます。当時、閖上中学校3年生だった吉田耕貴さん(22)は、同級生三人と後輩を亡くしました。後輩は大川さんの次男で同じ野球部だった駿くんであり、小中と同じ校舎で過ごした丹野公太くんでした。慰霊碑にはよく訪れ声をかけます。「大好きだった閖上のあの日のことを語り伝えたい」と話しますが、「自分は遺族ではない」という葛藤を抱え、話す決心はついていないと言います。耕貴さんは語ることができるのでしょうか。

コメント

ディレクター・大山琢也(仙台放送報道局報道部)

「私はこれまで“被災地”と呼ばれる地で、あの日のこと、命の大切さを語り続けてきた人たちを取材させていただいていました。震災から7年がたち、その方々から出始めた言葉は、“後世にどう残していけば良いのだろう…”そんな悩みの言葉でした。
そんな時、震災の津波で、約750人が犠牲となった宮城県名取市閖上地区で、ある若者と出会いました。それが当時中学3年生の男性です。その閖上地区でも、7年前、当時中学生だった息子を亡くした母親たちが、あの日のこと、命の大切さを全国の人に語り伝える活動を続けていました。
母親たちもまた“忘れてほしくない”“知ってほしい”との強い思いで、語り続けていました。男性はその母親たちの語る姿を見ていました。そして、“自分も語りたい”そう感じていました。彼は閖上地区が大好きでした。しかし、復興工事が進み、街は変わり続けています。楽しい思い出、記憶が消えようとしています。“彼の思いを聞いてみたい”、それがこの番組の始まりでした。
“被災地”と呼ばれる地で語り続けているのは、基本的に親世代。彼の姿を追い続けることで、彼は語る一歩を踏み出すのではないか、リレーのように母たちからバトンを受け継ぎ、語り続ける存在になるのではないか、そう思い取材を始めました。しかし、彼には葛藤がありました。“家族も無事で自宅も壊れなかった自分が話して良いのか”と話す姿もまた、他の被災地と同じでした。皆が被災者であるはずなのに、その被害の大きさでためらいを覚える人たちがいました。この番組では復興工事が進む7年目の被災地の“今”、そして、この青年が受け継ぐ一人になるのか、古里を語ることができるか、そこに焦点をあてて制作しました」

番組概要

タイトル
第27回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『閖上リレー ~変わりゆく景色の中で~』(制作:仙台放送)
放送日時
8月8日(水)26時50分~27時45分
スタッフ
プロデューサー
菊地章博(仙台放送)
ディレクター
大山琢也(仙台放送)
撮影
佐藤佑
編集
上池隆宏
CG
小野寺貴文
ナレーター
津賀有子(青二プロダクション)

※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。