聴きどころ
INTRODUCTION
今公演の聴きどころについて
池田卓夫 音楽ジャーナリスト@いけたく本舗®
キリル・ペトレンコがサイモン・ラトルの後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者・芸術監督に内定したのは2015年6月。2019年に着任しました。
彼は1972年2月11日、旧ソ連時代にシベリア第2の都市オムスクで生まれましたが、父はリビウ出身のユダヤ系ウクライナ人ヴァイオリニストで、ドイツ音楽にも通じていました。東西冷戦の終結をとらえて一家でオーストリアへ移住した時はまだ18歳。やがてウィーン国立・舞台芸術大学に進み、1995年にブリテンの「歌劇《オペラをつくろう》」で指揮者デビュー。以後、ウィーンのフォルクスオーパー、マイニンゲン州立歌劇場を経て、コーミッシェ・オーパー・ベルリンの音楽総監督<=以下、GMD>(2002~2007年)を務めたので、ベルリンではある程度知られた指揮者でした。2006年には、ベルリン・フィルも初めて指揮しました。
ミュンヘンでバイエルン州立歌劇場の<GMD>を務めた時期(2013~2020年)は、「国立管弦楽団(シュターツ・オーケスター=歌劇場管弦楽団)」の演奏会でマーラーの交響曲を積極的に指揮しています。ペトレンコ自身の日本デビューとなった2017年のバイエルン州立歌劇場ツアーでは「交響曲第5番」、私は翌2018年の「交響曲第7番」も本拠地の歌劇場で聴きましたが、前日も同じ曲を演奏したにもかかわらず、ペトレンコと何人かの楽員が開演ぎりぎりまで舞台に残り、より良い演奏を実現するための意見を交換している姿には驚きました。ベルリン・フィルのコンサートマスター、樫本大進もペトレンコのリハーサルが「最後の1分まで無駄にせず、絶えず基本に立ち返り徹底して掘り下げる」と証言。ベートーヴェンの協奏曲をベルリンで共演した中国の世界的ピアニスト、ラン・ランも「どんな細かい部分にも曖昧さを残さず、完全に納得が行くまで話し合いを続ける。これほど勉強になるリハーサルは滅多にありません」と、彼の〝執念深さ〟を絶賛します。
2019年に仕事を始める時、ペトレンコは2020年のベートーヴェン生誕250年記念、ラトルから引き継いだ教育プログラムとともに、1)レーガー、ワイル、ヒンデミット、ハルトマンらドイツ=オーストリア音楽の新たなレパートリー、2)ラフマニノフ、スクリャービンらロマン派の流れをくむロシア音楽、3)マーラーで「自身のカラーを打ち出していきたい」と語っていました。コロナ禍をはさみ4年ぶりとなる日本公演では、すっかり「ペトレンコ色」に染まったベルリン・フィルの音が楽しめるでしょう。2023年4月には141年の歴史で初めての女性コンサートマスター、ラトビア人のヴィネタ・サレイカ=フォルクナーが就任、ベルリン・フィルはさらに新しいフィールドへと突き進んでいます。
プログラムA
モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 K.201
ベルク:オーケストラのための3つの小品 Op.6
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 Op.98
3人の作曲家の名前をながめただけではピンとこないかもしれませんが、実はベルリンの〝ライヴァル〟、ウィーンを強く意識したプログラムです。ザルツブルク生まれのモーツァルト、ハンブルク生まれのブラームスとも最後はウィーンで活躍し、亡くなりました。ベルクは生粋のウィーン人です。ブラームスがモーツァルト以前のルネッサンスやバロックから当時の最新作までの膨大な素材を自分の音楽で再構成する手法を、ベルクの恩師シェーンベルクは高く評価していました。52歳のブラームスが作曲した最後の交響曲、「第4番」も古代ギリシャの旋法やバロック時代の変奏曲などの擬古典的な手法を取り入れつつロマンティックな情感を醸し出します。作曲家自身が指揮した世界初演はマイニンゲン宮廷管弦楽団が担いましたが、ペトレンコには1999ー2002年、その末裔に当たるマイニンゲン州立歌劇場の<GMD>を務めた縁もあります。前半はザルツブルク時代のモーツァルトが18歳で完成したイ長調の軽やかな交響曲と、30歳のベルクがシェーンベルクへの誕生日プレゼントに書いた大編成の小品集。ベルクは各地のオーケストラとの共演でペトレンコが頻繁に指揮する十八番です。モーツァルトの交響曲には慎重な姿勢を崩していないので、貴重な鑑賞機会といえます。
プログラムB
レーガー:モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ Op.132
R.シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』 Op.40
ベルリン・フィルの2023/2024シーズン開幕公演は8月26日。その際の生誕150周年のマックス・レーガー「モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ」、リヒャルト・シュトラウス「交響詩《英雄の生涯》」という曲目がそのまま、披露されます。ペトレンコとベルリン・フィルによる共同作業の最新成果をいち早く、ご自身の耳で確かめていただく好機。ペトレンコはシュトラウスの生誕地ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場<GMD>の時期、オペラも多く手がけました。ベルリン・フィルでも2022/2023年シーズン、《影のない女》を本拠地の演奏会形式上演、バーデン・バーデン祝祭劇場イースター音楽祭の舞台上演(リディア・シュタイヤー演出)の両方で指揮しています。《英雄の生涯》には「英雄の伴侶」を表すコンサートマスターの美しいヴァイオリン・ソロがあり、特に注目です。レーガーはペトレンコがベルリン・フィル就任時の記者会見で「ドイツ=オーストリア音楽の新たなレパートリーを開拓する」と話した際に名前を挙げた1人で、熱演に期待が膨らみます。