
狩野雄太プロデューサー&松山博昭監督
最終話に向けて、
ここまで撮影してきた思いを聞く
- 『Dr.アシュラ』の中で、注目して欲しいシーンは?
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狩野「全てご注目頂きたいですが(笑)、 松本若菜さんはストーリーを成立させるために繊細かつ緻密に毎シーン毎シーン丁寧に演じて下さっています。また他のキャストの皆さんも色々と肉付けをして下さっているので、各キャラクターが回を追う毎に、どんどん活き活きとしてくるので、最終回でも朱羅と仲間たちの関係性にもご注目頂けたらと思います。」
松山「個人的に一番印象に残ってるのは1話クライマックスのトンネルのシーンです。スケジュールの都合上、クランクイン直後のタイミングで撮ることになりました。現場的には“最初にこのシーンを撮るのは、さすがにしんどいよね”なんて、スタッフと話しながらだったんです。すでに数日撮影はしていたものの、医療シーンの撮影もその日が初めてでした。僕自身も大丈夫かな?と思いながらの撮影でした。その撮影では心臓マッサージを受けた患者の心拍が戻るというシーンがあったのですが、その瞬間に若菜さん演じる朱羅がすごくホッとして泣きそうな表情をされたんです。もともとクランクインする前は、朱羅はあまり表情を出さずに、良い意味で機械的にプロフェッショナルな仕事をこなしていくんだと思っていたんですが、命が助かった時はそういう感情が出てしまう。想定していたお芝居とは違ったのですが、内に秘めた想いや熱量が見えて、それがキャラクターとしてとても魅力的に感じました。結果として、1話のラストシーンを最初に撮ったことによって朱羅というキャラクターの見せ方の逆算ができました。1話のトンネルでのあの表情が朱羅というキャラクターを決定づけたと思っています。
- 医療ドラマとして意識したことは?
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狩野「今回、医療監修をして下さった救急の先生に最初にお話をお伺いした際に、激しい労働環境、どんな患者も分け隔てせず処置をする、そして初期対応だけで他科の先生に引き継ぐ為、患者からは感謝されない、失敗したら訴訟リスクもある…こんな大変な思いをしてでも「命を救いたい」というのは、果たしてどういう思いなのだろう?ということを根幹に考えていました。」
松山「医療ドラマという枠組みの中で、朱羅をビジュアル的な面も含めどう魅力的に描くかが大切だと思っていました。そのような観点から、救命処置室やオペ室をどのような質感にして、その中で朱羅がどのように見えるか、ということはとても意識しました。実際の医療現場は、蛍光灯や無影灯で明るく照らされてるのですが、そのリアリティーには囚われないようにしました。救急科の壁はレンガ調にして明暗が出るようにして、そのために病院の外観も古い建物を見つけてきたんです。窓もデフォルメして大きなものにして、窓からの外光、夕陽のような明かりの中で人物を浮かびあがらせるというライティングにしました。結果、他の医療ドラマとは、若干テイストが変わっていると思います。」
- 原作は2015年に連載された作品ですが、10年経過してドラマ化する上での変更などは?
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狩野「コロナ禍を挟んでいるので朱羅たちがマスクを着用している所かと思います。原作の連載当時はコロナ禍前でしたので登場人物達はマスクをしていなかったのですが、コロナ禍以降、実際の救急科の“初療室”に見学に行かせて頂いた際はマスク着用がスタンダードでした。マスクをすると役者の表情が見えづらくなるというリスクはありましたが、現代のリアルを優先する判断を取り、ドラマでは初療室での医療シーンではマスクをしています。あとは、症例に関しては、10年前の作品だからということではなく、物語の都合上、必要に応じて症状を足したり、変更させて頂きました。」
松山「もちろん、医療指導の先生に症例や治療法などを確認して撮影していますが、正直、僕たちには10年前と現在の医療の違いはわかりません。その中で感じた一番大きな違いはやっぱりマスクをするかしないか?でした。撮影する側としては、マスクをすると表情が見えなくなってしまうのでは、という不安があったのですが、実際に撮影してみると、マスクをしていることによって、逆に松本さんのお芝居の強さというか、“目だけだからこそ伝わる”ということをものすごく感じました。これは良い意味で計算外の出来事です。」
- 『Dr.アシュラ』というドラマを通して伝えたい思いは?
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狩野「見てくださった方の受け取り方次第だと思うので、あまり強く“こう思ってください”というのはありません。自由に感じていただけたらと思います。ただ、こういう現場で奮闘する救急科や医療従事者の方々のお陰で日々、どこかで命が助けられている。ということを知って頂けたらと思いました。」
松山「『Dr.アシュラ』はプロフェッショナルとして仕事に自分の人生を賭けている主人公の姿を描きたくて。医療ドラマではありますが、その裏にある想いや熱量が伝わる、そんな、“人の生き方”のようなものが見えると良いと思いながら作っています。」