典型的な地方出身の長男で、家族と地元の期待を一身に背負い、大学医学部に入学。卒業後の赴任先は救命救急センターを選んだ。「命に最も近い現場だから」よく言えば素直、悪く言えば単純な藤川らしい動機であった。そして赴任先の救命センターで彼は知るのだった。傷病者のもとに直接赴き、現場で治療に当たる、フライトドクターというプロフェッショナルを育成する病院が存在することを。「困っている人がいればそこへ飛んで行き、命のために死力を尽くす」そこは命の最前線であり、まさにこれこそが自分の追い求めていた医者の姿である、そう思った藤川はフライトドクターを目指すようになる。そこが“命の最後の砦”と呼ばれる過酷な場所であるとも知らずに。
2008年7月3日、翔陽大学附属北部病院救命救急センターでフェローシップ(フライトドクター候補生)を始める。高い技術を要求される場所で、気管切開もままならず、自分の未熟さを思い知らされる。さらには、除細動時の患者に触れて、心停止をしてしまい、指導医、黒田の蘇生を受ける始末。この出来事から、ついに黒田から病院を辞めるよう告げられてしまう。だが、持ち前の打たれ強さで病院に残り、オペや治療の補助だけでなく、雑事までをこなしながら徐々に成長。そんな努力を認めた藍沢に技術を教わる。トンネル事故発生時、現場の医師不足もあったが、黒田から初フライトを命じられる。また、列車事故現場では黒田の指示のもと、そ径部切開&大腿動脈遮断をこなして被災者を救う。現在ではフライトのローテーション入りを果たし、着実に経験を積んできた。だがその経験は、元来の調子に乗りやすい性格も手伝い、過信を呼んでいる。